美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その34)

2019年10月15日 16時57分22秒 | 経済

少子高齢化との関連で語られる社会保障問題は、上記のごとく、もっぱら、モスラ―のいわゆる「お金の支払い」の問題として語られています。

*今回で、「Deadly Innocent Fraud」の#4は、終了です。

アメリカ政府はドルを持っているわけではないし、持っていないわけでもないことを、私たちは知っています。政府は、財政支出をする場合、私たちの銀行口座の数字を増やします。課税する場合は私たちの銀行口座の数字を減らします。そうして増税は、私たちの購買力を低下させることに資するのであって、政府に財政支出の財源を与えることに資するのではありません。購買力が高すぎて、経済の過熱状態を引き起こすとき(すなわち、私たちが、経済と呼ばれるあの大きなデパートで売り物すべてに対して過剰な購買力を有するとき)、増税は妥当な措置です。しかしそうではない場合、すなわち、購買力が落ち込んで、産出の完全雇用水準で売り物として提供されるすべてを買うのに必要とされるものより過小である場合、事態は悪化します。

そうして、次のようなストーリーは、事態をさらに悪化させます。

どんな正統派経済学者でも、私たちが今日生産できる現実の財のなかで、50年後に役立つものなどほとんどないことに同意するでしょう。彼らは「私たちが子孫のためにできうるただひとつのことは、彼らが彼らの将来の需要に対応しうる知識と技術を持っていると確信するためにベストを尽くすことである」とも言うでしょう。残念なのは、彼らがそれに続けて「将来に備えて公的な基金を“節約する”ために、私たちができうるのは、今日の支出を削減することである」と主張することです。その主張は、わたしたちの経済を後戻りさせ、経済成長と雇用とを衰退の道に導き入れるのです。もっとひどいことがあります。誤った道に私たちを引き入れようとする、われらが指導者たちは、真っ先に削減すべきは公教育関連の出費であると主張します。彼らは、今後50年私たちの子孫を助ける教育はなされるべきだということに賛成していたはずなのですが。とても残念なことです。

もしも政策立案者たちが実際に貨幣システムを運営するハンドルを握ったならば、彼らは、問題は社会的公平性とインフレーションであって、政府の支払い能力などではないことを悟ることでしょう。もしも彼らがリタイアした年配者たちにいつでももっと所得を与えたいと思っているとすれば、それは単なる利益向上の問題なのであって、本当の問題は、私たちが、リタイアした年配者たちにどんな水準の現実の資源の消費を供給したいと思っているのかであることを悟ることでしょう。すなわち、どれだけの量の食べ物を彼らに配分したいのか。だれだけの家を。衣類を。電力を。ガソリンを。医療サービスを。これらは現実的な問題です。そうして彼らにより多くを与えることは、私たちの取り分が減ることを意味します。私たちが年配者たちに配分する財とサービスの合計は、私たち現役世代にとっては現実的なコストであって、お金の支払いではありません。支払いは、銀行口座の数字にすぎないのですから。

そうしてもしも私たちの指導者たちが将来について心配しているのであれば、彼らは、その目的のためにもっとも価値のあるタイプの教育をサポートすべきなのです。しかしながら、彼らは、貨幣システムを理解していません。彼らがそれを理解するまでは、それを“正しい方法で”見ようとはしないでしょう。

とにもかくにも、社会保障をめぐる「ひどく無知な嘘っぱち」は、現在と将来の幸福に大打撃を与えているのです。

*冒頭の繰り返しになりますが、少子高齢化との関連での社会保障問題は、もっぱら、「お金の支払い」の問題として語られています。しかし、この問題の核心は、銀行口座の数字の増減ではなくて、社会的供給能力の問題なのですね。需要に対して社会的供給能力が過小であれば、私たちは、リタイアした年配者たちと過小な生産物をめぐるゼロサムゲームを演じ、過剰なインフレが常態化した社会に生きることになる、ということです。それを避けるにはどうするか、がこの問題の核心なのですね。

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