美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その5)

2019年06月22日 18時39分17秒 | 経済


*〔プロローグ〕の後半です。最後まで訳してしまいましょう。

(ボルガ―の失敗の後)マネタリストたちは、金融政策を、お金の量の何かしらの尺度というよりむしろ金融政策の手段としての利子率を操作する政策である、と素早く定義し直しました。そうして「インフレ予想」がインフレの原因のリストのトップに躍り出てきました。むろん、お金の供給はもはや派手な役回りを演じることがなくなりました。興味深いことに、経済を規制するための利子率の操作を唱道する彼らの数学的なモデルのどこにも「お金」は顔を出していません。

経済がひどい不況下にあるとき、政治家たちは、事務所に居ながら、雇用の増加という端的な結果を求めます。彼らは、当初、FRBが利子率を下げるのを見守り、辛抱強く低い利子率が何かしらの「お金のつぎ込み」をもたらすのを待っています。不幸なことに、低い利子率は、どうにも「お金のつぎ込み」をもたらしそうにありません。

やがて、失業率の上昇によって、国会議員や大統領の再選が危うくなってくると、政治家たちは、減税や財政支出の拡大というケインズ政策に傾いてきます。これらのケインズ政策は、中央銀行や正統派経済学者たちの激越な反対と禍々しい予測の集中砲撃のなかで実施されることになります。

1973年の二番底の大不況の最中、「われわれはいまやみなケインジアンである」と宣言したのは、リチャード・ニクソンでした。

ニクソンのこの有名な声明にもかかわらず、ガルブレイスらのケインジアンは、1970年代の「大インフレ」がアメリカ人を震撼させたとき、マネタリストに負けました。経済政策は、FRBに主導権が握られるようになり、利子率の操作が、「スタグフレーション」下の米国経済では最も効果的なやり方であるということになったのです。「スタグフレーション」という造語は、不況と物価高とが同時進行している経済状態を形容したものです。

私は、1973年に、コネチカット州のマンチェスターというわがホームタウンにあるマンチェスター貯蓄銀行に入り、滞納ローンの集金を担当する仕事をしました。1975年までに、当行の資金配分を担当する支配人になり、76年にウォール街に行き、78年まで証券取引所の立会場で働きました。当時私は、ウィリアム・ブライア&カンパニーに雇われていて、社債部門で債券裁定取引を担当していました。

*裁定取引と訳したarbitrageは、もともとはフランス語で、現物と先物などの金利差や価格差を利用した売買を行い、利鞘を稼ぐ取引のことだそうです。一例を挙げれば、同じ商品が、現物市場で安くて先物市場で高い価格で取引されているとき、現物市場で買い先物市場で売ること。

私が1982年に自分自身の基金をスタートさせたのは、そのときでした。当時の私は、あの「大インフレ」を、OPECの価格上昇圧力によってもたらされたコスト=プッシュ型のインフレとして目撃しました。OPECは、「大インフレ」をもたらすべらぼうに高い価格を設定するカルテル(企業連合)の外観を呈していました。

*それに続く「and a simple supply response that broke it」がうまく訳せないのでペンディングにしておきます。「 it」が何を指すのか、どうもはっきりしないのです。

OPECが原油の名目価格を1970年当初の一バレル当たり2ドルからおおよそ10年後には一バレルあたり約40ドルに釣り上げたとき、私は二つの考えうる結果を見届けることができました。一つ目は、「大インフレ」はけっこう値打ちのある物語であり続けたということ。どういうことか。合衆国の物価水準は、かなり低いままだったのです。なぜか。人々は石油やガソリンにより多くを支払ったので、ほかの商品に対する需要が減退し、それらの多くの物価が弱含みになったのです。賃金や給料はあまり変わらなかったのですから、そうなります。この事態は、貿易高と生活水準の急激な後退と、石油を輸出する側の貿易高と生活水準の大幅な改善とを意味します。

二つ目の結果は、全般的なインフレが続いて起こったということです。それで、OPECは一方では石油の値段をさらに釣り上げましたが、他方では、欲しいものを買うためにより高い額を支払わなければならなかったのです。一バレル当たり10ドルと5ドルの間で石油価格を設定した後、貿易額の実質はたいてい違わないままだったのです。ちなみに、一バレル当たり10ドルと5ドルの間という石油価格の設定は、10年間以上維持されました。

そういう経済状況を観測しているなかで、私は、金融の引き締め政策が物価高抑制という結果をもたらしたところをまったく目撃しませんでした。その代わりに、1978年の天然ガスの規制緩和によって、天然ガス価格が値上がりするようになりました。それゆえ、天然ガス井が増えることになりました。アメリカの電気公益事業諸会社は、燃料をバカ高い石油からより値段の低い天然ガスにシフトさせるようになりました。OPECは、一バレル当たり30ドルを下回るようになった石油価格を下支えするために速やかな生産減を実施しました。一日当たり15億バレル以上の生産減を実施したのですが、それでも十分ではなくて、OPECは、石油過剰生産の海で「溺死」することになりました。他方、電気公益事業は、石油以外の燃料にシフトし続けたのです。

さて、本書は、3つのセクションに分かれています。パートⅠは、すぐさま、私が提示する7つの「無知による嘘っぱち」が国家の繁栄にとってもっとも深く埋め込まれた障害物であることを明らかにします。それらを理解するのに、ある意味で、貨幣制度や経済学や会計学についての予備知識や理解は必要ではありません。7章のうちの最初の3章は、連邦政府の財政赤字を扱います。第4章は社会保障を扱い、第5章は国際貿易に触れます。第6章は貯蓄と投資に触れ、最後の7章は、連邦政府の財政赤字の話題に戻ってきます。第7章が、本書の核心的なメッセージです。

本書の目的は、わが国が直面しているこれらの批判的論点についての普遍的な理解を進めることです。

パートⅡは、私が金融界に身を置いてきた30余年間を通じて、これらのとんでもない無知による7つの嘘っぱちに対する理解が深まってきたプロセスを扱います。

パートⅢで、私は、とんでもない無知による7つの嘘っぱちで得た知識を今日的課題に当てはめてみます。

パートⅣで、私は、わが国が、自国の経済的潜在能力を引き出し、アメリカン・ドリームの復権を図る特別な行動計画を提示します。

2010年4月15日 ウォーレン・モスラ― 

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2 コメント

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Unknown (nyun)
2019-07-01 23:03:39
このあたり、じぶんは翻訳していなかったので有意義だと思います。
http://econdays.net/?p=9414

and a simple supply response that broke it
のとこですが、これはそのあとに書いてある話で、天然ガスの供給がカルテル戦略を壊したっていうことなんですけど、ちょっと意味がとれていない感じデス。
二つのありうるoutcomeのうち、一つ目は実現していないんですね。
コメントをどうも (美津島明)
2019-07-10 16:09:52
コメントをいただきまして、どうもありがとうございます。

訳に関しては、研鑽あるのみ。これに尽きます。

MMTには、経済学のみならず従来の政治言語を刷新してしまうだけの起爆力を感じております。たとえば、右・左の対立関係の終焉とか。そういうすごいものを自分の血肉にしたいという思いが強くあります。生きているうちに、こういう経済思想と巡り合えて運がよかった、とも思っております。

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