アタシはどうしてここに居るの?
施設(特別養護老人ホーム)の一階の廊下を
集団リハビリの行われるホールへと向かって
いくときに母がアタクシに訊ねました。
毎度、同じ回答をします。
あんね、ママは心臓が弱いんよ。
だから、24時間の見守りが必要や。
それに、左の大腿骨を骨折して立ち上がること
は出来ているけれど、歩けなくて、こうして、
車椅子やからね。
医療のあるところへいないとアカンねん。
絶対、母への回答に必要なことは、「医師」
とか「医療」という言葉と「心臓が悪い」。
ま、実際、狭心症と心房細動があるんですが。
「老人ホーム」とか「施設」と言うのは禁句です。
病院は嫌でしょ?
うん、絶対に嫌。
だから、ここなんよ。
アタクシは、母本人も、ここは施設であると
いうことは理解していると思うのです。
もしも、ここは老人ホームって言えば、母は
また、老健(介護老人保健施設)の玄関で、
兄とアタクシを睨みつけて言ったように
アンタ達!!、アタシを騙したわね!
と、目を吊り上げて怒るのでしょうか。
ここ、横須賀は半島で海に近いこともあるから
なんでしょうか。
東京に比べると、若干気温が低いです。
命に係わるような猛暑と言われています。
体温を超す気温のところもあるでしょう。
どうぞ、介護をする皆様、まずはご自身を
ご自愛くださいませ。
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コメント
コメント一覧 (6)
もし私が母を施設に入れるときは、私も同じようなことを言われるんでしょうね。
散々滅私奉公で尽くしたあげくに、こういうことを言われたら、今でもギリギリ保っている、私の神経がどうなるか…
気づかぬふりをして生活していますが、私は間違いなく鬱傾向にあり、朝起きるときには、なんとも言えない絶望的な気持ちになり、不安症のように、心臓がドキドキします。
不安神経症に近いのかな?
そのまま寝ているとどんどん酷くなりそうなので、自分をごまかすためにもすぐに起き上がります。
うちがあんず様と違うところは、弟がどんどん敵化していくところです。
一方的に言いたいことを言われるのも慣れましたが、こちらは完全2世帯住宅の一階に出入りしなければならない身なので、理不尽だと怒りに震えながらも、言い返さずに耐えるしかありません。
今にみてろよ!と思いながらも、いざとなってもなんの反撃もできずに終わるんだろうなと、諦めというより、絶望的な気持ちになります。
介護自体にというよりも、弟との軋轢にほとほと疲れはて、自分が壊れてしまう前に、割りきって母を施設に入れようかと…
娘が強くそう勧めてくれます。
ある程度分からなくなるまでは私が…と思っていましたが、まさか認知症診断の9年後も要介護1だなんて、全く予期せぬことでした。
いっそ転ぶとか…
何かきっかけがあってくれればと、親不孝なことを願うこの頃です。
いつも優しいばばだったのに認知症になるとかわるんですね。
私はびっくりしてしまいました。 ショートから帰ってきてごはんたべて寝るとき タンクトップで寝ようとするから無理やり服をきせたら
「これは暑い嫌じゃ何着ようとほっといてくれと怒り出しました。」
クーラーを止め扇風機かけてもけし をくりかえされほとほと毎日暑い日疲れました。ばばのおしっこたれをしないかリハパンはいてるかみてやってくれと言われて
母はテレビみて寝てばかりいるし私しかする人がいないんですね。
なんでも両親はばばのこと私にいってくる
私だってしんどいんです。今日も一日ぐったりしていました。
寝てたってことですね。これをブログにしました。ごめんね。ブログのをかいてね。
ウチの母の場合、一般病院から老健への移動はベッドごとエレベーター一本で済まされましたから多分『老健』が施設であるとは思っていなかったと思います。その老健で3ヶ月を過ごし特養からの迎えの車でいよいよ特別養護老人ホームへの移動となったのですが、私もあんず様と同じく『施設』という言葉は一切出しませんでした。リハビリのための病院であると言い張り、歩けるようになるまでここで療養するのだと騙し続けました。母が「家に帰る、歩ける」と言い出せば「ちょっと事務所に書類を出して支払いしてくるから」とドロンしました。それを繰り返しているうちに母は認知がどんどん進み帰宅を訴えることすらも無くなりました。
ある意味、私はとても楽になった訳です。しかし、それでも「自分をここに放り込んだのはこの娘だ」と母は無言で恨んでいるのだろうなと、母が無言であるだけに尚更感じることがあります。
「そんなことはない、貴方はよくやった、お母さんは分かっているはずだ」と励ましてくれる人はいますが、在宅介護の頃のあの荒れ狂った鬼のような母の表情を思うと私は楽観的にはなれません。
私にとっても母にとっても、お互いに「こいつは鬼だ」という記憶が最終のものになるのだろうなと思います。更に私は母の死後は墓仕舞いを目論んでいますので、これも母の逆鱗に触れることでしょう。
元より私には信仰心なんてものは欠片もありませんが、これだけ逆鱗に触れ続ければ母は化けて出るかもしれないなと思う今日この頃。
呆けても死んでも母が私の重しであることには違いないようです。
要介護1だそうですが、身体的に自立した生活が
出来ると、認知症でもなかなか、上がりませんよね。
ロコ様のお母様の様子だと、要介護3の特養への入所が
可能になる頃は、もっと認知症が進行していることでしょう。
「朝起きるときには、なんとも言えない絶望的な気持ちになり、
不安症のように、心臓がドキドキします。」
そうですね、介護鬱かもしれませんね。
出来れば、心療内科で診て貰ってはどうでしょう。
弟さんが敵化する、それは、お嫁さんの影響かも
しれませんね。
昨年の暮れにお父様を見送った友人が、ロコ様と同じ、
姉弟の関係。
やはり、実家が2世帯住宅で、一階に両親、二階に
弟さんという構造でした。
どんどん、弟さんとの関係が悪くなり、実家へも
行かず、でした。
お嫁さんが具体的に介護をせず、結果、友人が
お父様を施設に入れて、最期を看取りました。
でも、お父様(お母様はすでに亡くなってます)が
亡くなってから、遺産相続等で、話し合いがあり、
次第に、誤解というか、しこりがなくなり、
今は、元の姉弟になっているそうです。
何かをきっかけにして、弟さんとの関係は
戻ると思うので、今は、当たらず触らず、
必要なことだけ連絡するという状態でいいのでは?
この暑さでは、もも様もしんどいでしょう。
高齢者はどうも、冷房は電気代が高いからとか、身体が冷えて嫌だとか、
色々言いますよね。
冷房も、付けたり消したり・・・。
せめて扇風機だけでもかけて欲しいですよね。
ばば様はもも様がいるから、長生きをされているんだと思います。
だんだんと帰宅を訴えることはなくなってくるんですね。
認知症の症状は人それぞれで、脳内のどこで、進行しているかで、
決まってくるんだと思います。
母はいまだに、口達者というか、気に入らないことがあれば、
荒れるようで。
この頃、私も在宅介護中にあったことが再来し、
あのときの絶望感と情けなさと孤独感を感じています。
だから、母があの世に逝っても、悩まされるのかも
しれないと思っています。