鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。

いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開業を取り上げたいと思います。

 

 青函トンネル・備讃瀬戸大橋開通

昭和63年3月13日、青函トンネルが開業し、長らく本州と北海道を結んでいた、青函航路はその任を解かれることとなりました。

記録では、最終運航は ・八甲田丸であったそうです。

 

青函トンネルを含む海峡線(津軽海峡線)の開業に伴い、鉄道連絡船は運航を終了 3/13

最終は函館発が「羊蹄丸」(2代)、青森発が「八甲田丸」
3月13日のみ青函トンネルと青函連絡船の両方が営業を行った

釧路線【新駅開業】武佐 3/13
根室本線【新駅開業】武佐 3/13
【駅名読み方変更】旭川駅「あさひがわ」→「あさひかわ」3/13
函館本線【電化】函館~五稜郭(海峡線開業に伴う) 3/13 

 

国鉄があった時代 昭和63年前半

 

画像 wikipedia 羊蹄丸

spaceaero2 - 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6401730による

画像 wikipedia 八甲田丸

spaceaero2 - 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6401707による

 

さらに、4月10日には、岡山~高松間に備讃瀬戸大橋が開通し、上部を自動車道が下路には鉄道が敷設されました。

なお、この下部分は在来線と新幹線が併設できるように設計されていますが、現時点では在来線車両しか運用されていません。

こちらも、宇高連絡船はホーバークラフトが廃止となり、連絡船も休止、高速艇が残されるもののこちらも1990年3月には休止となったようです。

 

なお、これにより、宇野駅はかつての連絡船乗換駅としての使命を終えることとなり、ローカル線然とした雰囲気になってしまい、かつては東京からの特急列車が到着したことを知る面影も残っていません。

そして、連絡橋を走る「宇高走り」も見られなくなってしまいましたね。

 

そして、この時に投入された、車両が213系であり、国鉄末期の1986年、キハ185系などとともに国鉄の置き土産として投入されたものでした。

なお、開業に際してはJR西日本は追加で、クロ212を製造しました。

この当時は、民営化直後ということで、色々な意味で新しいことにチャレンジしようという気概に溢れていたように思えます。

時にクロ212は元々国鉄時代に投入された213系のサービスアップと増収を目指して導入された車両で、普通列車ですので2+2の座席配置ではあるものの観光列車らしく、座席を窓側に向けることで走行中の車窓を楽しめるようになっていました。

頂き物の画像から

先頭車は、スーパーサルーンゆめじの先頭車を連結している。

211系と外観がよく似ているが、2ドアで有ること、正面は助手席側が大窓となっており、座った状態で正面の景色を堪能できるなどの配慮がなされています。

 

瀬戸大橋【開業】 4/10

  • 快速「マリンライナー」などが運転開始
  • 岡山~宇野間の快速「備讃ライナー」
  • 宇高連絡船やホバークラフト廃止
【開業】児島~宇多津間と坂出への短絡線 

運輸相、関谷衆院運輸委員長、伊東JR四国社長ら出席して、8駅で盛大に出発式 4/10
四国旅客鉄道ダイヤ改正 4/10 高徳本線高速化工事完成 4/10

  • (最高速度85km/h→110km/h)
  • 特急「うずしお」運転開始

土讃本線 土佐山田~窪川間でワンマン運転開始 4/10
予讃本線 伊予北条~八幡浜間でワンマン運転開始 4/10
牟岐線 急行「むろと」を「阿波」に改称 4/10
真岡線旅客運輸営業終了 4/10

 

国鉄があった時代 昭和63年前半