国鉄の民営化が行われたのが、1987年4月、そして、国鉄の経営形態のあり方が本格的に検討され始めたのが、1982(昭和62)年でした。
最後の再建計画と言われた国鉄の再建計画では、職員の大幅削減や合理化などが盛り込まれ、1982(昭和57)年10月のダイヤ改正は貨物を中心とした大幅な減量ダイヤで、これに伴い機関車などの大量の余剰車が発生しました。
国鉄が、鉄道省(戦争中の逓信省を合併して運輸通信省、その後郵政省が分離して運輸省)から、国有鉄道に変わったのが、1949(昭和24)年でしたから、国有鉄道として存在したのは約33年、JRも発足してから、3732年ですから国鉄時代とほぼ同じとなり、制度的疲労も見てきたように思います。(年数の計算を間違えていましたので訂正しました 2019/12/27追記)
国鉄から、JRになってサービスが悪くなったという意見もありますし、実際JR北海道の深刻な問題など顕在化している部分もあります。
ここでは、民営化の是非を私なりの視点で考えていきたいと考えております。
次回から、下記リストの順番に1話ずつアップできればと考えておりますが。
内容が内容だけに、更新頻度はかなり遅れると思われます。m(_ _)m
- 鉄道省から国鉄へ
- 国鉄になって失ったもの、残されたもの
- 政府の思惑とGHQ
- 国有鉄道という名称のこだわった理由
- 戦後の国鉄と赤字
- 民営化を含む経営形態の変更が提言されたころ
- 第一次長期計画と国鉄
- 第二次長期計画と国鉄
- 新幹線開業と国鉄
- 第三次長期計画と国鉄
- ローカル線廃止問題と国鉄
- 生産性運動と国鉄
- 新幹線整備計画網と国鉄
- スト権ストと国鉄労働者
- 再び浮上するローカル線問題
- 本格化するローカル線の廃止
- 国鉄当局と国労、蜜月の終わり
- 臨調答申と国鉄
- 国鉄民営化
- JR発足と旧国鉄(清算事業団)
- 列島ブームと国鉄
- 新幹線売却と国鉄改革
- 旧国鉄の解体とJR
- 経営安定基金と三島会社
- 高速道路の開通とJR各社、特に三島会社の動向
- 人口減少とJRローカル線
- JRはどの様な形になるべきか
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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
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