国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第9話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

7月11日に投稿してから、そのままになってしまっていましたので、再び筆を進めさせていただこうと思います。
桜木町日記に入る前に、当時の国鉄部内誌、交通などを参照しながら当時の様子などを探ってみたいと思います。
次回は、「再び桜木町日記から、国鉄の設立までを他の資料も参照しながらアップさせていただこうと思います。 」と書かせていただいていましたが、少し趣向を変えて、当時の部内誌「交通」から、運輸省から国鉄への動きについて少しだけ見ていこうと思います。
内容的に重複したり、時系列的に戻る場合もありますが、ご容赦願います。
 
当時の政府にしても、鉄道総局の改変は大問題
 

国鉄に関しては、マッカーサー書簡による指示によるという見解が一般的ですが、実は政府部内でも、国鉄に関しては、すでに運用の効率化などの点から、すでに検討がなされており、たまたま労働運動に端を発した、マッカーサー書簡が発出されたことから、国鉄もその組織を公社と呼ばれる組織に変更したと言われています。

その辺は、改めて検討していきますが。

国鉄を何らかの形で現行の運輸省の外局から独立させるべきといった意見もあったのです。

元帥の書簡が出てから国鉄の行き方あり方について、色々議論がなされて来た。元帥の七月二十日付首相宛の書簡は主に労働問題に関連して、
1 鉄道、塩、樟脳、煙草等の事業に関しては一般の公務から除外せられてもよいこと、(might well be excepited)
2 但し此の際は特別の公企業体をつくるべきこと(In this event,however,public corporation should be established)
の二項が示されて、之に対する解釈として、1と2は関連して読むこと、即ち一般の公務から除外してもよいが、そうすればパブリック・コーポレーションを造れと云うふくみのある言葉でのべられているので、鉄道の改組についてもその根本方針に関して色々議論があった。
同時にまた別の観点から、国有鉄道の合理的な運営の為に機構を改むべきであると云う強い主張が存在していて、之がたまたま元帥の書簡と期を同じうして強調されて来たために、国鉄の行き方、あり方について一層むづかしい論議がなされる様になった。


昭和23年10月号 交通から引用

検討された3つの案

マッカーサーの書簡により、国鉄は公社(public corpration)への改変が示唆されたのは。すでに皆様ご存じのことと思いますが、いかんせん当時としては、最大の官庁であり、その組織が膨大なことから、数多くの案が出ては消えていったと言われています。


当時の資料を参照しますと、運輸省から分離される国鉄(鉄道総局)に対しては、下記の3案が考えられていたそうです。

A)鉄道総庁
B)鉄道公庁
C)鉄道公社


と呼ばれるもので、各の組織の概要は下記の通りです。

A)鉄道総庁・・・鉄道総局を運輸省から内閣に移すもので、総裁・副総裁を置き、重要事項は別途設置される、国有鉄道審議会により決定される。
職員の身分は、公務員であるが、現業公務員として一般公務員と区別される
人事権は。運輸大臣または、総裁
運賃の決定は、当面は、財政法3条による
となっています。

注:財政法3条
租税を除く外、国が国権に基いて収納する課徴金及び法律上又は事実上国の独占に属する事業における専売価格若しくは事業料金については、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない。

B)鉄道公庁・・・政府の全額(現物)出資の特殊法人であり、総裁・副総裁を置き、その配下に理事を若干名置くことが出来る。重要事項は別途設置される、鉄道公庁審議会により決定される。
職員の身分は、公務員であるが、現業公務員として一般公務員と区別される
人事権は。総裁が持つ
運賃の決定は、当面は、財政法3条によるが、将来的には財政法3条の適用外

C)鉄道公社・・・財団法人として設立され、理事長、副理事長、理事若干名をおく、独立採算性の建前から、収支については自主性を持たせるとともに、運賃決定も自主的な運賃決定を促すため、財政法3条の適用は行わない。
なお、現行の赤字については、しかるべく清算機関を設置して赤字処置に当たらせるとしています。

管理下に鉄道総局を置きたい政府と、独立させたいGHQ/SCAP
本来であれば、鉄道公社案が、最もマッカーサーが示唆する形になるのですが、国としては膨大な運賃収入が入ってくる鉄道事業を独立させるのではなく、なんとか政府の管理下に置いておきたいという思惑もありましたし。

国鉄職員にも、官吏として入省したのに、政府の意向で官吏(官僚)を外れるのは困るという意見も色濃くあったのも事実でした。

当時の 運輸局(注:GHQ/SCAP内の運輸局をは、民業的色彩の濃い、鉄道公社案を支持していましたが、当時の運輸省の思惑としても、

経済の安定がなされていないので、急激な組織の改編は良くないとして、下記のように発言しています。

少し長いですが、引用させていただきます。

 

この三つについてみると、公共企業体にふさわしい姿はC案だと考えられるが、運輸首脳部としては経済の安定しない今日、急激な機構改革は徒らに混乱を招くし、また純然たる民営にして国家権力からはずすことはまだ無理で、鉄道運営すなわち資金、資材、労需物資、加配米などの確保は民営では困難だ、との見解を堅持しているので、公社案採択の見込みは薄い。

結局、A、B二案のいじれかに落ち着きそうである。

とありますように、運輸省を含めて当時の政府としては出来るだけ、組織を温存させて置こうとしていたことが窺えます。

その後、紆余曲折はあったのですが、最終的には、

国が保有する鉄道なので、日本国有鉄道という名称となり、形式上は、鉄道公庁による設立形式、すなわち、政府の全額(現物)出資の特殊法人であり、総裁・副総裁を置き、その配下に理事を若干名置くことが出来る。重要事項は別途設置される、鉄道公庁審議会により決定される。というもので、実際には鉄道建設の審議会が運輸省内に設置されるなどの違いはありますが、形式上は公社という独立採算制の建前を持つ組織でしたが、実態は限りなく国営に近い組織として誕生しました。

実際、鉄道総局時代の赤字は、そのまま新生国鉄が引き継ぐ形となり、運賃も法律に縛られることとなり、しばし、賃上げ率の抑制や、運賃値上げ自体の延期と言ったこともあり、ますます、国鉄は赤字を増大させていくことになるのでした。

 

 

 

実際、誕生した国鉄という組織は、運賃については財政法3条を受けた形で、国有鉄道運賃法が制定されました。
また、新設路線の決定などは鉄道建設審議会と言う運輸省の組織が持つこととなり、国鉄の意思決定に基づかず建設の答申が進められることとなりました。

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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

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