Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「若冲」(辻惟雄) その4

2020年09月27日 20時10分08秒 | 読書

 水墨画で、私が好きな作品をいくつか。水墨画、好きな作品はいくつもあるが、3作品に絞った。



 本書では「野菜涅槃図」として取り上げているが、「若冲と蕪村展」(2015年)では「果疏涅槃図」となっている。この展覧会の解説には辻惟雄も解説を書いているので、「果疏涅槃図」と表記した。
 近年の研究で79歳以降の最晩年の作とされている。
「50種を超える野菜果物が、‥画箋紙に澱みなく描き分けながら、‥全体的構成への配慮も行き届いている。トウモロコシを沙羅双樹に、上から垂れる果実を摩耶夫人にといった、基地溢れる見立てを自ら楽しんでいる‥。若冲の感受性の健やかさを保証するものでもある。」
 実は私が一番最初に若冲を知ったときはこの作品であった。今から何年前の事であろうか。もうすっかり忘れてしまったが、最初に出会った作品というのは、印象深く、忘れることが出来ないものである。



 「五百羅漢図」は石峯寺に若冲(61~66歳頃、1776~1781)の指揮のもとに五百羅漢の石造群が作られた。
 この作品を群像図で、あまりに多くの羅漢が描かれている。しかし動植綵絵の鶏や牡丹の稠密な作品とは違って、画面に不思議な「く」の字、ないし段々畑のような秩序が設定され、落ち着いた構成だと感じる。羅漢の発する会話や所作による音も抑制的に聞こえる。また左から右上部にかけての空間と雲とその間に小さく描かれた羅漢の群れが、くどくないことに好印象を受ける。
 よく見ると象やその他の動物に乗った羅漢などが配置され、実に細やかな描写である。
 現在では、製作年代は1790年、75歳以降とされている。この書では取り上げていないが、1791年の「石峯寺図」と近い制作年代とされている。こちらの図も似たような羅漢が多数描かれている。
「渡海参集する阿羅漢縦50cm足らずの画面を埋めて描き込まれている。牛、象、鹿、龍などに乗ったり、三々五々談笑しあったり、ざわめきが響き上がってくるような賑やかさである。なかの一人が指さす、はるかかなたの雲上にも、豆粒のような羅漢の大群がみえる。若冲の心象世界の広がりを実感させる‥。」



 この作品「群鶏図押絵貼屏風」(1797、82歳)の図版。薄くて見にくいが、やむを得ない。
「それぞれ雌鶏と雛を従えた雄鶏が、一国一城の主よろしく、尾羽をふり立て、蹴爪をいからせて辺りを威嚇している。‥これまで無数に手がけてきた略画の鶏図ではあるが、画箋紙に墨を吸わせて羽紋をあらわす従来の工芸的手法を捨て、速度感ある運筆と、勅選、曲線の小きさみな対応によって、カリグラフィックな効果を狙うという新しい傾向がここにあらわれている。鶏の生態への感情移入など、海宝寺襖絵に通じ、それをより活力的に描き直したといえる面もあるが、筆勢の協調が、羽毛の感触や体躯のまるみの沈着な描出を犠牲にしたのはやむを得ない。‥八十歳をすぎて、なお新しい画壇の開拓を試みる若冲の意欲と、旺盛な筆力は驚嘆に値する。」
 私は音頭の尾羽の丸い描写が気に入っている。執拗ともいえるほどにこの描写を作者は繰り返している。この曲線に対するこだわりが出てきた由来や、解釈は分からないがとても気になる。

 この書が1974年に出版されて以降、「蔵と鯨図屏風」、「石灯籠図屏風」、「(いわゆる若冲モザイクといわれる)動物・鳥・花・果樹を描いたタイル状絵画」、「花鳥蔬菜押絵貼屏風」などはこの書では取り上げていない。やむを得ないとはいえもったいないと思った。



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