本日6日明け方にかけての満月が「ストロベリームーン」ということを私は初めて知った。もともとはアメリカ先住民が1年で最も日が長くなる「夏至」に一番近い満月をこう表現したとのこと。野イチゴの収穫の時期に重なるため「ストロベリームーン」と呼んだという。
ただし先住民の言葉ではなく、英語由来の言葉に翻訳してしまって流通していることには違和感を持つ。先住民が「野イチゴの月」という表現に込めた思いは、現代のような赤く甘い語感を伴っていたのか、あるいは厳しい生活感が込められたものなのか、それとももっと別の伝承に基づく語感をともなったものだったのかは私にはわからない。
言葉が持たされる生活や文化の匂いというものに配慮がされなかった負の歴史、征服され蹂躙され抹殺されそうになった文化の名残を感じ取ってしまう私は、いつも歯がゆさを感じている。
現実には、苺のように月が赤くなるわけではない。そもそも、月が出てまもない時間帯は、月が黄色味の強い橙色に見える。この時期は日本では空気中の水蒸気が多いため、高度が低い月は、いつもよりは少しだけ赤味が強く見える可能性はあるかもしれない。
しかし北アメリカ大陸のすべての先住民の住む地域が日本のようにこの時期湿気が多いわけではない。反対に日本よりは乾燥した地域が多いと思われる。
このように、ストローベリームーンという呼称と月の色合いはまったく無関係であると言える。味についても我々とは違うニュアンスかもしれない。現代人は形容詞の意味合いを誤解したうえで、さらに本来の意味合いも捨て去ってしまう。誤解によって新たな意味合いが月のイメージに付加される。これは文化人類学的な探求対象になるのだろうか。
私は「ストロベリームーン」に限らず、広い平原での橙色に上ってくる満月は是非とも見たいと思っている。アメリカ先住民の月への思いは、日本や欧州の人の月に対する思いともまた違っていたであろう。そこに張り付いていたイメージは今の私たちには伝わってこない。そんなことを考えながら見る月はどのように私の目に映るのだろう。
なお、明け方の月は半影月食だったようだ。月刊「星ナビ6月号」によると、次のように記してあった。
今年は日本から月食が3回見られるが、いずれも地球の影のうち半影と呼ばれる薄い部分に月が隠される半影月食だ。1月11日に続く2回目が、6月6日の未明から明け方にかけて起こる。食の始まりは2時46分ごろ、食の最大は4時25分ごろ、終わりは6時4分ごろで、どれも全国共通である。
東日本では食の始まりの時点で薄明が始まっており、食の最大になるころに月の入りと日の出を迎えてしまうので、ほとんど月食とはわからないかもしれない。西日本でも空が明るく低空での現象となる(食終了より前に月の入りとなる)ので非常に見づらいが、撮影してみると月の左下がやや暗いのがわかるかもしれない。しっかりと準備を整えて観察してみよう。次回の日本から見える半影月食は11月30日。