Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨日伝えようとしたこと

2020年05月31日 12時37分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日のオンライン飲み会で伝えようとしたことは、あまりうまく言葉にならなかった。手元のメモを起こしてみた。

ゴヤ(1746.3~1828.4)
 ナポレオンスペイン侵攻(スペイン独立戦争)(1808-1814)の体験を版画集《戦争の惨禍》にまとめる。
・ゴヤは生前、宮廷画家として最高の地位を極めた。しかしゴヤの現代性はむしろ画家の没後徐々に明らかとなった「自由制作」の報にあり、それらはモダン・アートの選句しして評価が高い。かくしてゴヤは「死後の巨匠」として生き続けるのだ。(もっと知りたいゴヤ 解説文)

堀田善衛(1918.7~1998.9)
  1951年に芥川賞。1977~スペイン在住
 「広場の孤独」(1951)、「時間」(1953)、「方丈記私記」(1970)、「ゴヤ」(1977)、「定家明月記私抄」
 宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けている。宮崎の作品のゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来。

大高保二郎(1945.8~)
  1973~1976 スペイン留学 堀田善衛にスペイン案内役

★ゴヤ版画集《戦争の惨禍》(1810-15)より《5番 やはり野獣だ》(長崎県美術館)

・民衆の女たちが、槍や石やナイフを手にフランス兵と戦っている。再前景にいるのは幼子を背負った母親である。戦場では女たちもただ被害者に甘んじているわけではない。怒りと絶望に駆り立てられた時、彼女たちはまた加害者と化す。ここにあるのは戦う女たちの英雄性や愛国心ではなく、誰をも野獣にに変えてしまう戦争の痛ましさである。(もっと知りたいゴヤ 解説)
・「戦争の惨禍」国家単位の“現代”が終ることになってもらいたい‥という現代終焉願望が、「戦争の惨禍」をくり返し眺めていると自分のなかに澎湃として沸き起こってきて押しとどめることが出来ない‥。(堀田善衛「ゴヤ」第3巻)
・筆者(堀田善衛)は、戦争中の学生時代に「戦争の惨禍」を持っていた。(スペインの)ゲリラ側にも(ナポレオンの)フランス側にも、そのどちらにも身を傾けることなく、双方にとっての「戦争の惨禍」をつまりは人間にとっての戦争の惨禍をあますことなく、従前に描き切ったものであった。それは、戦時中の若者にとっては一つの啓示であった。「皇軍」「鬼畜米英」などという言い方が新聞やラジオで呶鳴るような調子で高唱されていた時に、戦争が人間にとっての惨禍であることをこれらの版画は、無言で若者に告げていた‥」(堀田善衛全集11巻、引用は大高保二郎)

★ゴヤ《1808年5月3日、マドリード プリンシペ・ビオの丘での銃殺》(1814)(ブラド美術館)



中央左で両手をあげているのはキリストの磔刑のイメージ。手のひらに聖痕がある。左端には聖母子象が描かれている。右側の銃を構えた兵士はナポレオンによって派遣されたフランス兵。
・両腕を上げた形式、それは殉教者だ。‥あれは、木が枝分かれして十字架となった磔刑の腕なんだ。」(パブロ・ピカソ)

 

★ゴヤ《暗い絵》(1820-23)より《砂に埋もれる犬》(ブラド美術館)



・生と死を象徴する流砂から頭だけをのぞかせ、上方を見上げる犬。悲しげなその姿にはゴヤ自身、あるいは歴史に翻弄されるスペインを重ねることも出来る。(もっと知りたいゴヤ 解説)
・堀田先生は「黒い絵」の中では「犬」という絵に、とりわけ思い入れが強かった。この絵に、自由や平和を希求し、苦悩してもがく人間の姿を見ていたのではないでしょうか。この犬は、ゴヤであり、堀田先生ご自身ではなかったか‥。(大高保二郎)



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