日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

題目には二つの意味がある

2020-04-03 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R2.4月 第195号)  

 

 権教謗法のみ多き権実雑乱の世の中では、題目の南無妙法蓮華経は知っていても、二つの意味があることを理解している人は、爪上の土のように稀であります。
 宗祖日蓮大聖人は『三大秘法稟承事』に、
「題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。」(御書1594)
と仰せであります。
 仏法を弘める過程には、釈尊滅後、三時(正法像法末法)弘教の次第があり、正像時代の題目と末法時代の題目があります。
 正法と像法の題目は、自身の成仏を目的とした自行のためだけに唱える題目であります。これを理行の題目といいます。
 末法は、自身の成仏である自行と、自分以外に他人の成仏を願って、その人も唱えるように勧める化他の両面にわたる題目となります。
 つまり、末法時代の現在、修行として唱えるべき題目とは、自行化他にわたります。
 ゆえに大聖人は『三大秘法稟承事』に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。」(御書1594)
と仰せであります。
 具体的な自行は、自身が仏道を成就するための修行ですが、三大秘法の御本尊への勤行唱題になります。
 化他行は、他者を教化することをいい、折伏や育成になります。

 自行化他にわたり唱える題目には、四弘誓願を意識することが大切であります。四弘誓願とは、大聖人が『三世諸仏総勘文教相廃立』に、
「四弘とは、衆生の無辺(むへん)なるを度せんと誓願し、煩悩(ぼんのう)の無辺なるを断ぜんと誓願し、法門の無尽(むじん)なるを知らんと誓願し、無上菩提を証せんと誓願す。此を四弘と云ふ。」(御書1409)
と仰せであります。

 自行の誓願について

①煩悩無辺(数)誓願断
 我が身のすべての煩悩を断じ尽くそうと誓う、煩悩即菩提・生死即涅槃を誓願すること。つまり、無始以来過去遠々劫の罪障を消滅するための誓願。仏性を顕現するために必要な誓願でもあります。

②法門無尽誓願知
 仏の教えである日蓮大聖人の教え、その教えの極理を師伝している御法主上人猊下の御指南をすべて学び、知ろうと誓い、御報恩御講参詣や総本山の登山で法話を聴聞させていただき教学力を身に付けること。さらに、大日蓮・大白法・妙教・寺報などを読むことで信行の向上につながる。

③仏道無上誓願成
 最上の仏道である勤行唱題を御本尊に修し悟りを成就しようと誓うこと。つまり、煩悩無辺(数)誓願断・法門無尽誓願知・衆生無辺誓願度の成就を実現するための大切な誓願。さらに大聖人が『祈祷抄』に、
「法華経をもていのらむ祈りは必ず祈りとなるべし。(中略)必ず法華経の行者の祈りをかな(叶)ふべし。」(御書622)
と仰せである、実現(現証)を成就するための誓願のこと。

 化他行の誓願について

④衆生無辺誓願度
 日蓮正宗の信心を知らずに、悩み苦しみの多い生活に沈んでいる一切衆生をすべて成仏に導こうと誓い、広宣流布を目指す折伏弘教のこと。地涌の菩薩の眷属が誓願する大事な誓願。その心得として「我不愛身命 但惜無上道」「一心欲見仏 不自惜身命」「身軽法重 死身弘法」の精神が大切。

 いずれも誓願の文言が四弘誓願にはあります。つまり折伏誓願の「誓願」には、四弘誓願が含まれています。

 建長五年(一二五三)四月二十八日は大聖人が宗旨を建立された日であり、「衆生無辺誓願度肝要なり」(御書1862)との化他行(折伏)を中心とした題目を唱えられた始まりの日であります。大聖人が外用上行菩薩の立場から四弘誓願でも特に肝要な御振舞を顕示あそばされた重要な日でもあります。
 毎年奉修される宗旨建立会では、自身の化他行(折伏・育成)の在り方を振り返り、血脈付法の御法主上人猊下が御指南される広宣流布について確認する大事な宗門行事になります。
 新型コロナウイルス感染症の影響により、化他行の折伏に制約はありますが、大聖人の御在世当時を御書から拝した時に、疫病が大流行する最中でも折伏を敢行された大慈大悲の御振舞を拝して、御命題達成に向けて精進しましょう。
 大聖人は『中務左衛門尉殿御返事』に、
「疫病は阿闍世王の瘡の如し。彼は仏に非ずんば治し難し。此は法華経に非ずんば除き難し。」(御書1240)
と仰せであります。疫病は良薬である法華経、法華経でも三大秘法の南無妙法蓮華経でなければ、治しがたく除きがたいとの教えであります。このことを心肝に染めて、現実に疫病である新型コロナウイルス感染症という三障四魔と対峙して、化他行の折伏を考えて実行することです。
 まず、連日にわたり日本政府の専門家会議から最新の状況と対策が報告されています。また、その報告をもとに政府をはじめ、各都道府県では具体的な対策が練られ詳細にわたる行動制限等が発令されます。そのことを受けて、総本山から通達があります。
 以上のことを踏まえて、講中では折伏行の活動範囲を細やかに決めることが必要不可欠です。時々刻々と状況が変化するため、信用できる情報源に注視し、臨機応変に柔軟な対応が求められます。衛生面に細心の注意を払い、相手に不快感を与えないように清潔感を心がけましょう。六根清浄の功徳を積ませていただく具体的実践行になります。
 そのためには、常に唱題を心がけて活動することが大切です。現下では収束後、スムーズに折伏行が前進できるよう大事な準備期間でもあります。四弘誓願の上から準備に取り組みましょう。

 収束後、折伏で直面するケースに、世間では題目の南無妙法蓮華経念仏の南無阿弥陀仏は、仏教であるから同じであると思っている人、念仏と般若心経の違いがわからない方に多く接する機会が予測されます。まさに権実雑乱の証左であります。
 同じであると思うことは大きな誤りであり、権実相対から題目の南無妙法蓮華経と念仏の南無阿弥陀仏は、修行として唱えるべき時代に唱えなければ正しいとはいえません。末法時代は念仏ではなく、題目でなければ成仏への功徳とはなりません。
 大聖人は『秋元御書』に、
「法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞を雑(まじ)へ沙石(いさご)を入れたるが如し。(中略)三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。南無阿弥陀仏は仏種にはあらず。」(御書1447)
と、仏種である南無妙法蓮華経と、仏種ではない南無阿弥陀仏を一緒に唱えてはいけないことを仰せであります。末法では題目を唱え、念仏は唱えていけません。まだまだ、この違いがわからない人が多くいるのが現実です。折伏では、題目念仏との違いを教えていくことも大切であります。

 最後に、大聖人の立宗宣言では、題目念仏の違いを明らかに説かれ、末法の一切衆生を救済するための初転法輪でありました。

 

宗祖日蓮大聖人『三大秘法稟承事』に曰く、
「題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止(や)みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。」(御書1594)

 

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