bow's Design(ボウズデザイン)

お化け イラスト

日記「おばけ」

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「がちゃん!どんどん!がちゃん!どんどん…!」
静まり返った夜更けの時間に煩い訪問客が施錠した玄関の扉を乱暴に音を鳴らす。
一日の中で最も静かなこの時間の邪魔をするものは何人たりとも許せぬ。
こんな時間になんなのだ、酔っ払いの家間違いか、苛立った体を揺らし、どっどっと足音を鳴らしながら玄関のドアアイから外の様子を覗き込んだところ、何もいない。
ちっと舌打ちを鳴らし、開錠し扉をあけて廊下の左右を見渡したが、何もいない。
再び舌打ちを鳴らし「お化けかよ」と呟き、机に向かって仕事を始めた。

「がちゃん!どんどん!がちゃん!どんどん…!」
静かな雰囲気に合うBGMに不協和なリズムが入り込んで、せっかくの曲がホラーになってしまったではないか!と、再び玄関の扉へどっどっと足音を鳴らし向かった。
こういった現象というのは不思議なもので、現場に向かった時にはピタリと止まるもので、まさに玄関の前に立った今、ホラーになってしまった曲はいつもの癒しの曲が部屋から溢れ聞こえている。
さあ、貴様、出てきたまえ、話をしようではないか、唯一の静かな時間を邪魔するものは何人たりとも許すことはできない、言いたいことがあるならば今すぐ出てきて話したまえ、そして安らかに眠りたまえ、静まりたまえ…

すると、外からひゅー!ごおごお!と強い風が鳴るのが聞こえた。
こういった不思議な現象の原因の多くはこういうことで、自然現象と時代時代の近代的建築物のぶつかり合い、珍しい獣の鳴き声などというもので、お化けだ、妖怪だ、と人々は形容し、生と死といった観念、宗教などの哲学、物語や世界観を帯させ、現代にまで語り継いできた。
これらの考えは大切なことだと考える。

集中力が切れてしまい、どすんと椅子に腰をかけた。
そういえば、このところ風が強く、雨が続いていた。
ところで、お化けはいつから信じなくなっただろうか、と考えた。
僕の小さな頃は、オカルトブームだったのか、定期的に特に夏はそういった番組をやっていたのを思い出す。
見なければいいのに、見てしまい、夜眠れなくなり、トイレに行くのも怖い、というのを鮮明に覚えている。
それらを怖いものとして捉えるのは、作り手の策略にまんまとはまってしまったわけで、僕だけではないだろう。

しかし、死んでも尚、成仏のようなものが出来ず、そこに強い思念を持ちながらい続けなければいけない、というのはなんとも酷なことだろう。
あくまでも僕の考えでは、この世は地獄(地獄の中でも美しく咲く一輪の花を見つけ心が幸せになる。そんな物語を描こうと脚本を書いているところだが、いつになるやら…)、死んでも尚、地獄というのは、なんとも酷なことだ。
死後の僕は無、なのである。
生きているとすれば、身近な人々の中で時折姿を見せるもので、その姿はどんどんと姿を消し、接したことがない人々には写真と逸話などとして生き続けるのか、あるいは現世での役割を本当の意味で終え消えるのか。
著名な人というのは、なかなか役割を終えることができず、墓暴きのようにああでもない、こうでもない、と言われ続けるのも大変であるが、生きている私たちにとって、人々が生きることの学びを伝え続けてくれることに敬意を払い合掌を捧げたい。

死別というのは大変悲しいことであって、もう二度と会えないと思うと、辛いことである。
人は死んでしまう、という概念さえなかった小さな子どもは、大きくなるにつれて人は死んでしまうことを知る。
あの楽しかったひと時が思い出となり、いなくなってしまった人と二度と会えなくなってしまうことを。
当たり前のように過ごしていた時間は、当たり前でないことを知る。

人体の一部を端末と接続し、映像に映し出し、故人と常に会話をすることができたなら。
物理的には存在しないが、映像の中でいつもと同じように生活を共にする。
いわば永遠の命のようだ。
魂というものが存在し、肉体の中から旅立つという仮説が正しければ、肉体の一部を採取したとて、ここに映し出されたものは果たして。
この先人類が肉体的に存在しなくなり、荒廃していく街々の建物の中、この端末は生きていて、端末同士が会話している光景が浮かんだとき、なんとも言えない気持ちになった。
テクノロジーというのは、ものごとを補完するものであって、摂理のようなものになり得ないのだ、と思った。

これは失った娘と仮想空間の中で再会する、というミーティング・ユーという動画だ。
ツイッターを眺めていたらたまたま流れてきて見たものだが、僕の死生観は変えるものでないものであったが、心は揺れ動き、涙してしまった。
大きなゴーグルを身につけ、感覚を感じる大きな手袋をはめ、何も存在しない緑の空間を、失った娘と再会をしたような母の姿はとても幸せそうである。
明らかに映像である娘の語りかけに、幸せそうな笑顔を浮かべ、噛みしめるようにその時間を過ごしている。
その一つ一つの様子に僕の心は揺れ動いた。
魔法の時間はいつまでも続かない。
仮想空間に存在する娘が眠るとともに、この時間は終わる。
母の姿は寂しげであるが、どこか納得したようすにもうかがえた。
こういったひと時は当たり前のように過ぎて行くが、本来、人々が幸福を感じることのできる時間なのだ。
人々は時代の荒波にもまれながら忙しい日々を過ごすわけだが、何気ない瞬間を時に思い出して欲しい。
人々の愛を。
織姫と彦星が一年に一度の七夕に会うことができるそのひと時を。
世界が平和でありますよう。
幸せなひと時を。
幸せな思い出を。
はい、チーズ。

今日の作業用BGM

Jeon Jin Hee / Our love was summer

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