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いだてん~東京オリムピック噺~ (46)「炎のランナー」

(2019日)

昭和39年(1964)東京五輪、2か月前だった。

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女子バレー主将の河西昌枝は父が危篤だったが、
看取らずに練習に戻ってきた。


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田畑は組織委員会に乗り込んだ。
沖縄での聖火の際、日の丸を掲げること、
また、最終ランナーに原爆投下日の広島で産まれた坂井義則にしろと主張した。
そして、
「アメリカに阿って原爆の憎しみを口にし得ない者は、世界平和に背を向ける卑怯者」
と自分の発言として記者に書かせた。


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ギリシャから出発して18日後の9月7日、聖火が沖縄に到着。
オリンピック開催の33日前だった。
カメラの前で米軍は認めざるを得なかった。


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いだてん~東京オリムピック噺~ (46)「炎のランナー」

坂井義則はナーバスになっていた。
自分が聖火ランナーとなったのが、出身地と誕生日だったから当然だった。
が、日本人にとってかけがえのない意味があった。





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