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麒麟がくる (33)「比叡山に棲(す)む魔物」

(2020日)


元亀元年(1570)6月の「姉川の戦い」に勝利するも、
浅井朝倉は帰郷、信長も岐阜城に帰った。

前回、信長の敗退と勘違いした阿波の三好三人衆が摂津に攻めてきて「野田福島の戦い」となる。

総大将に足利義昭となり、三好勢を追い詰めるも、
三好の降伏の申し出を拒否した9月12日に、大坂本願寺が挙兵した。

朝倉浅井も挙兵し、3万で琵琶湖西岸を南下。
宇佐山城を1000人で守る森可成が16日に討死。救援に駆け付けた信長の弟信治も戦死する。

朝倉浅井は宇佐山城をスルーし京の制圧に向かった。


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22日に報告を受けた信長は三好・本願寺と戦っていたが、23日には京に撤退。
連絡体制と的確な判断だった。
朝倉浅井は京を諦め、坂本に戻り比叡山に籠った。

そして、宇佐山城主の後任を光秀とし、信長は4万で比叡山を包囲した。


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将軍義昭は、和平の手紙が無視され信長が比叡山と戦争状態が続いていることを嘆いた。
第1次信長包囲網義昭黒幕説を『麒麟がくる』では採用しなかった。
「永禄の変」で兄義輝と実母を殺した三好三人衆に働きかけて信長に向かわせるのは考えにくい。摂津晴門も嫡子を失っていた。


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比叡山に入った光秀は朝倉義景と再会。
天台座主の覚恕のお目通りがかなった。
正親町天皇とは異母兄弟で11で比叡山に入った。
容姿で入れられたと負の感情が堆積し、恨みやっかみで
権益を増やし正親町天皇に頭を下げさせることを目的としたが、
信長が奪いだしたとした。


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11月、弟の織田信興が長島一向一揆勢に敗れた。


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摂津晴門が覚恕と密談。将軍義昭の和平の願いを2人が潰していた。


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それを、菊丸が聞いていた。久々の登場だった。
確か「桶狭間の戦い」の頃以来なので、10年ほど遊んでいたことになる。


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家康から菊丸の報告を聞いた信長は京を捨てて岐阜へ戻ろうとするが、
帰蝶に笑われたくはなかった。
将軍義昭の意思を邪魔する輩がいる以上、帝の勅命に頼るしかなかった。


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正親町天皇は、弟覚恕の心中が分かっていた。
覚恕が無視した屋根や門の修繕を信長は協力していた。
12月、関白二条晴良を遣わし和平を実現させた。



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元亀2年(1571)二条城にて、義昭の養女(九条家の娘)と筒井順慶の婚姻の前祝いの席に松永久秀も呼ばれていた。
大和にて血みどろの争いをしており、摂津晴門の仕業だった。
久秀が裏切って反信長になることも想定していたのでしょう。



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NHKオンデマンド 麒麟がくる (33)「比叡山に棲(す)む魔物」


9月、信長は、中立要請を無視され、焼き討ち予告を無視され、
比叡山で3~4千を殺害した。

が、考古学では、その数字は疑問符がつくそうだ。







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