地震とともに揺れるもの:時事コラム

大阪府に直下型地震


6/18月曜日の朝
地震が起こった時、
私はまだ布団の中で
ぼんやりしていました。

揺れ出した途端に
頭にサーと血がまわりだし
みるみると
目が醒えてくるのが
わかりました。

「からだ」は

“私”という自意識が立ち上がる前から働いていて、

こういった瞬間に意識を発動を後押しする姿を

垣間見せてくれたのです。

こういった瞬間に出会うと
「からだ」は不思議なものだ
―と思わずにはいられません。

 

地震で起こる不調


地震と聞くと、
倒れてきた家具や電化製品等で
怪我なんかがすぐ思い浮かぶと
思います。

それから、
環境の大きな変化で
体調を維持出来なくなる
ようなパターンがあります。

 

  • 車中泊が続いてエコノミー症候群
  • 薬が切れて高血圧からめまい・ふらつき
  • 親しかった人との隔絶からの鬱傾向などなど


確かにこういった体調不良は目立ちますし、

 

因果関係と言うものがわかりやすくいので
拾い上げやすいです。

けれども、
地震によって引き起こされる
体調不良の中で一番特徴的だな
と私が思うのは

「からだ」が足元から
揺さぶられたという体験が
生み出す不安だ

―と思います。

【地面が揺れた!】という不安

阪神大震災の後の西宮

私が西宮で仕事をするようになったのは、

阪神大震災の後、5年も6年も経った時です。


西宮の街はキレイに整備され

大震災の痕跡はほとんど残っていない状態でした。


阪神西宮駅のロータリーに

その時止まった時計がモニュメントとして残されている

のが目につく位でした。


 

阪神大震災の影響を残す人々

けれども、
西宮市で仕事を続けているうちに
出会った患者さんの中に
地震の影響を残しているらしい人が
結構いるらしいことがわかってきました。


表面的に接している限りでは、
ごく普通に見られるような
ひどい肩コリであったり
耳鳴り・めまいや不眠であったりする
だけなのですが、
話を掘り下げて
聞いていくと
震災をキッカケに
体調不良を起こし
そこから、
肩コリや不眠が
ずっと続いているらしいのです。

地震当時のことをきいてみても、
親しい人を亡くした等の
いわゆる強いトラウマ的な体験があるわけではないようです。

震災後に生じた
一時的なしんどい環境も
とっくに解消しています。

―なのにです。

つまり、

≪ストレス的な環境は
既に脱しているにもかかわらず
一部の人達はストレスを
感じ続けている≫


―と解釈出来るようなのです。

いわゆるPTSDなんかと
似てるような印象も受けますが、
フラッシュバックのような発作は起きません。

本人も、
地震の時に感じた恐怖感や不安感からも
距離をおいていて
息まずに話すことも出来ているように
私には見えました。

ストレスを感じやすくなった人々

このストレスは
「どこから来るのだろう?」
―とさらにお話を聴いていくと
段々と次のようなことがわかってきたのです。

震災を経験した後

「不安になりやすくなった」
「怖いことがふえた」

と言う類いのことを
言われる方が多いことが
わかってきたのです
(もちろん、
私が出会った患者さんとの会話からの
印象という評価のみですが…)

その発言を裏付けるかのように
そういった方々は
ストレスを感じた時に出てくる脈の硬さや
息の浅さや胸の硬さなんかが
かなりの率で見られたのです。
 

対象を持たない不安

ただ、
私の印象だとこの不安は
○○に対する不安という風な
対象を持っている不安とは
違うという感じがしました。

確かに、その都度、
孫の心配やら、年金の心配やら
某か心配のタネを持ち出して
不安がる人は多かったです。
 
けれども、
それは不安が先にあって、
それに合わせて理由を見つけてくる
というような印象なのです。

実際に
一つの心配のタネが解決すると
違うタネを探してきて不安を訴えるという方が
よく見られたのです。

地面が揺れる≒常識が揺さぶられる

このとりとめのない不安感は一体なんなんでしょうか?
また、地震とどんな風に関連しているんでしょうか?


私には全くわからない

―と言うのが本当の所でしょう。
ただ、
敢えてその感覚に言葉を当てはめてみるとするなら、

衣食住という生活の土台と地面(大地)は
「からだ」にとって同じものとして現れて
同質のものとして扱われているから


―と言う風に言えるのではないかと思います。
 
これを、
単なるメタファーとして受け止めることも
出来ると思いますが、
「からだ」感覚から見たら
もっと根深いもののように思えます。

地面(大地)
食べ物私達に提供し、
立ったり走ったりする足場を差出します。
家を立て
暖を取ったり風雨を凌いだり
することが出来ます。

「からだ」感覚から見ると、
地面(大地)を信じて(?)
そこに足場を置いて
賭け(?)にでない限りは、
何事も出来ないことになります。

そして、
何よりもこういった
「信じて賭ける(?)」ということを
「からだ」は意識が気付く以前から行っていて、
私達の意識は
ほとんどそのことを考えることもしないのです。

この大地(地面)の感覚からは
何気なく当たり前と感じている
常識という無意識の感覚までは
多分ほんの数歩といった所に
隣接しているのではないでしょうか?

つまり、

「信じて賭けて(?)」いた地面(大地)が揺れるということは
「信じて賭ける(?)」べき大地(地面)を信じられなくなる

―という可能性につながり

そして、そのまま

今まで漠然と信じていた
常識みたいな感覚が信じられなくなる
―ということつながるのだと思います。

そこから
 
大地(地面)を信じられなくなるということは、
恐らく、今まで培った常識みたいなのものが壊れて
不安が溢れ出してくる


―という事態につながる
のだろうということが想像されるのです。

【地面が揺れた】ということは
私達の何気ない常識も揺さぶられた


―ということなるのではないでしょうか?

 

 

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