情報って「からだ」にとってどんな体験なんだろう?…「からだ」考2ー③

~「情報って「からだ」にとってどんな体験なんだろう?…「からだ」考2ー②」の続き~

情報という体験を「からだ」に即して考えてみる

文字がただの模様や汚れでないためには・・・

ただし、これらの前提だけでは文字が“見えない現実”を暗示することは不可能です。文字は読まれて理解されなければいけません。でなけれぼ、只の白黒の模様になって背景の汚れや紙のシミやシワの中に埋没してしまうことになってしまいます。

文字模様は読まれる前から“読む”ことが期待されている

つまり、文字は“読む”という行為が行われることが最初から期待されているのです。「からだ」は文字らしき刺激にぶつかると、読むという行為が可能な感覚として、感覚の海より文字を切り出してきて強調して捕まえている―はずなのです。

“読む”より前に気付かない内になされてしまう

この一連の課程は、文字を読むという行為以前からほぼ意識されないぐらいのさりげなさで行われているはずです。もし、それが出来なければ、私達は文字を読む直前に毎回イチイチと文字を探すという一過程を意識的に行わなければならないはずです。

(よくある、絵の中から隠された文字を探すというパズルでは、反対にその課程が引きずり出されて意識させられている状態になります。)

【文字は解読されるという期待が予め織り込まれている】

この「からだ」感覚のオートマチックな感覚を【文字は解読されるという期待が予め織り込まれている】と呼んでおくことにします。

 

「情報って「からだ」にとってどんな体験なんだろう?…「からだ」考2ー④」へ続く~

 

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