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今年も86日の「広島が核攻撃を受けた日」、89日の「長崎が核攻撃を受けた日」が過ぎました。安倍首相も参列なさって例年通り、慰霊祭が行われたのですが、慰霊祭での政治家の挨拶を聞いて虚しさを覚えたのは私だけではないはずです。挨拶は型通りのきれいごと、「核廃絶」などという絵空事を言ってそれで自己満足しているとしか思えません。慰霊祭はやらないよりはやった方が良いかもしれませんが、それよりも日本が三度目の核攻撃を受けないようにするにはどうすれば良いのか、日本人をどうやって守るのか、という具体的な話が聞きたいです。このままで行くと、日本に三度目の核が落とされる可能性は非常に高いのではないでしょうか?

 日本は実際に核攻撃を受けたのですから、その経験や実験データを他国に比較して多く持っているはずなのに、それがまったく役立っていません。つまり誰も真面目に考えていないのです。昭和20年(1945年)89日、長崎で被爆した長崎医科大学第11医療隊隊長だった永井隆博士は3日間の救護作業が一段落したのでようやく帰宅できました。しかし、そこで見たのは全焼した我が家と緑夫人の遺骨でした。二人の子供は疎開していたので無事でした。そんな状況の中で再び医療隊を編成して救護に当たっていましたが925日、永井氏自身も白血病に倒れます。それから亡くなるまでの6年間で『長崎の鐘』『この子を残して』等、多くの貴重な記録を残されました。永井博士は原子物理学者であったので、被曝時の光景や人々の被害状況を記録する姿勢は感情に流されず、科学者の眼で冷静にものを見ていらっしゃいます。

 原爆は巨大な火の玉なので直撃されれば黒焦げですが、最初の爆風を幸い避ければ被害はぐっと軽くなる、と永井博士は書かれています。体内に入った放射線による被害が現われるまでには時間がかかり、細胞にはそれぞれ障害が現れるまでの潜伏期間があるそうです。ですから、とりあえず直撃と爆風を避ければ生存者はぐっと増えるのです。スイスなどで各家庭に核シェルターを設置させているのは、合理的な判断なのです。欧米先進諸国では核シェルターはかなりの高確率で設置されています。しかし、日本では皇居にも国会議事堂にも核シェルターはありません。くだらない箱モノを作る予算があるなら、核シェルターを学校、病院など公共機関に設置するべきです。

 原爆攻撃を受けた直後、長崎には「75年生息不可能説」が流れたそうです。75年間、被爆地には植物も動物も一切生息できない、という説です。しかし永井博士はそれを確かめようと観察をしてみます。すると3週間後、松山町という爆心地にアリがいるのを発見しました。一か月後にはみみずがたくさんいるのを発見しました。ネズミも元気だったそうです。そこで永井博士は「小動物ですらこうやって生息できるのだから、人間が生息できないはずはない」と考えて,疎開していた人たちに戻ることを勧めます。ただし幼児は放射線に対して鋭敏なので、まだ戻らない方がよかろう、とも言っています。植物に関しても驚くようなことが記録されています。爆風でふきとばされた麦が至る所で芽を出し、翌年、例年と同じように収穫できたそうです。

 原爆の直撃を受けた長崎ですら1年も経たずにほとんどの人が長崎に戻っているのです。原爆の直撃を受けたわけでもなく、単に原子力発電所が一部、放射能漏れを起こしただけの福島で、なぜ未だに多くの人が自宅に戻れないのでしょうか? 永井博士の著書を読んで学んだ学者は日本に一人もいないのでしょうか?

 原爆の犠牲者を慰霊するのは悪いことではありません。しかし、そこで思考停止していてはダメでしょう。犠牲者の供養のためにも、祈っている場合ではないと思います。

 

 

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