「水滸伝」7-2 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

P121-240

梁山泊という水の滸(ほとり)にある盗賊の巣窟が、この物語の舞台であり、彼らが当然に主人公である。
あらゆる事績は、梁山泊から見たものであるから、戦いのシーンなど、普通は梁山泊側に肩入れするものだ。

ところが、彼らのあまりに独善的な主張に辟易しながら読んでいたところなので、誰か、梁山泊メンバーを痛い目に合わせてくれないかなあと願うようになってしまった。それなのに、わけのわからない神通力を使ったり、親分たちの数にもの言わせて、梁山泊メンバーの方が当然兵も多いし強いんだぜ、みたいな書き方されると、ずるいなあと思うし、完全武装の正規の官軍がそんなに弱いわけがないじゃないといらだってしまう。

しかも、不満はもう一つある。
物語も中盤のクライマックスに向っているようで、物語の序盤で予告されている108人の豪傑がすごい勢いで集結している。
なんか、歩いていると、そこらの豪傑が、あっしも仲間にいれてくだせえみたいな感じで入ってくるのは、全然問題ない。そんな風に加入してきた豪傑の名前はほとんど覚えていないけど、それもいい。
でもね、戦っている官軍の総大将が、あっさり節をまげて、賊軍の仲間入りするのがどうも腑に落ちない。
それも、ほとんどなんの説明もなく、正義の志に共鳴したかのような書き方をしている。

この物語の前半の方で「水滸伝」はこまごました話をはしょることで、こまごましたものを語らずに語っているかのようなことを書いた。
例えば、役所での事務手続、宴会の模様、宿泊日の夜のあれやこれや、なんていうのは、別に書いてくれなくても想像がつく。
だから、いろいろあったけどさ、はしょりますよ、という一文だけで、もう十分にその情景が想像できるものなのである。
だけど、地位も役職も名誉もある官軍の総大将が、賊軍に鞍替えするというのは、もっと葛藤やらなにやらがあるはずなのである。
もうさ、この辺、人数を集めないといけないストーリーにしちゃったから、バリエーション替えて何人も仲間にしているけど、面倒くさくなっているよね?ついでに仲間入りさせてるよね?というにおいがぷんぷんする。

じゃあもうそんな設定やめちゃいなよね。
書く方がめんどうくさいなら、読む方はもっとめんどうくさいよ。

物語も残すは3分の1.
まだ3分の1もあるのかと思うと、ちょっと不安である。
ただまあ、スラスラと読めるので、もう少しの辛抱である。