沖縄で起きた暴動

警察署を襲撃した暴徒には

騒乱罪が適用される可能性がある


さらに破壊した物については

沖縄県の財産であるため

民事的にも賠償を請求されることになる


大義名分があろうとも

大義は暴徒と化したことによって

脆くも崩れ去ったのである


日本では暴力にやる言い分の正当化は認められない

参加してしまった愚か者には厳しい処分と多額の賠償を背負わせる必要がある


一部には確認してからやるべきだったと言っている奴もいるようだが、確認できようとできまいとやるべき話ではない


このようなことはするべきではない


動画で愚かな行為に走った愚か者共は事実がどうあれ罪を償うために出頭し、猛省をしてほしいものだ


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凍った大地

北国に住む人々には普通のこと

ただ、首都圏に住む人には異様な世界


そんな世界を報道しようとするメディア

その瞬間を捉えようとする輩の違和感を感じなかっただろうか


事故を探す

何か起きて欲しいと起きそうな場所に目を向ける


歩く姿を捉える

その人を追い続ける

何を待っているのか


そう

それは転ぶ瞬間なのだ

転倒しろ

その心の声が聞こえて来るような気がした


転んだ姿を捉えれば

大丈夫ですか

と声をかけ近付く


だってその姿を捉えたんだから

心配している姿を見せて全国に報じなければならないから


これってメディアの大義名分なのだろうが

傍から見たら違和感でしかない


良くあるのが

警察が一生懸命市民のために活動する姿を映す場面だ

ただ、そんなことまで警察がする必要があるのかと思う一面もある


凍った路面で立ち往生する車

それを動かそうと尽力する警察

でも、それって私費を投じてレッカー車を手配するなどすべき話では?

そもそも凍っているならノーマルタイヤで動くなよなぁ


その違和感にこそメディアは報じなければならないのではないだろうか


注意喚起のための報じ方

それがないから違和感が生じてしまう


メディアにとっては

その不慣れな環境こそが飯の種

災害現場に挙って集まる違和感の存在

カメラを手に大義名分とばかりに撮りまくる


その災害を伝えることも大事だと思うのだが

挙って集まる必要はない

実は奴等こそが一番の迷惑な存在だということを考えてほしいものだ



 


少年犯罪について
年齢での区別は如何なものかと思う
同学年で犯した罪の処罰が年齢によって区別される

方や手錠で拘束され
方や児童相談所に通告

少年法が大義名分を少年の健全育成と謳うならば
同じ世代の人間を
年齢によって区別せず
年齢にとらわれない法整備が必要なのではないだろうか

私はクソガチが増長しないためにも
少年法自体がいらないと思っているのだが
不公平感のある法律なら尚更必要とは思えない

子供は各学年毎に育ち
その世代で成長していく

ならば少年法の定義を見直し
高校三年生若しくは中学三年生までは
年齢ではなく世代で区別されるべきではないだろうか

 


こういう議員を生み出さないためにも
すぐに辞めさせることができるようにするためにも
各地方自治体の議員、国会議員の身分に関する法整備が必要

議員とは法を作る人
その法を作る人が法を犯せば失職するのは当然
選挙前に犯していたとしても期間を設けておくべき

そんな人間が作る法を守りたくない

あとは出て来なかった分の給料は支払わないようにもしておくべき

 


外国人に投票権を与える
彼らにも権利がある
聞こえは良いのかもしれないが
何故認められないのか
何故反対意見が多いのか
デメリットを理解しているのだろうか

どこぞの国が悪意を持って押し寄せてくることも考えなければならない
外国人が増えると外国人のためにという意見が票に繋がると日本人の意見が蔑ろにされかねない 

日本は日本人の国
それは外国でも同じ
それぞれの国にはその国の国民がいる
外国人の権利はどこの国も制限している
権利を認めようとしない国が多いのは国を守るため

国を守るためには権利は与えない
それは重要なこと
一つの市の話かもしれないが
日本の危機に繋がる可能性を秘めていることを忘れてはならない

メディアにとって重要なのだろうか

国民の大半が無関心なんではないだろうか


でも、テレビ局では大々的に報じられる

何が重要なのか?

何のために必要なのか?


結果として誰が大統領になろうとも

奴等が変わることはない

根底にある反日の精神は変わらないのだ


ならば、今のコロナ禍によって疎遠になった状況を限りなく維持することが重要なのではないだろうか


歴史問題で解決した話を穿り返す

約束は守らない

恩わ与えても感謝しない

感謝するどころか仇をなす

そんな国である


どこに関係改善の糸口が見えるのだろうか


ならば無関心であることが一番重要である

下手に注目すると付け上がるだけ

相手にしないのが一番なのに

国民の気持ちとかけ離れているメディアには理解ができないのだろう


誰がなろうとも変わり映えしない選挙なんて

注目する意義はない


近いからという考えを重要視する時代は終わったのだから


自民党が過半数に届かない

そんな憶測が飛び交っていた衆議院議員選挙

蓋を開けてみれば結果は自民党が若干議席数を減らしたものの、過半数を占めることとなった


野党では維新の会が躍進したものの

野党で政権交代の可能性を秘めていた立憲民主党は議席を減らし、燦々たる結果となってしまった


原因は明白

共産党との連携である

立憲民主党支持者にはこな連携に対する嫌悪感は募ったのではないだろうか


総括として立憲民主党の連中やそれを指示するような発言の目立つ評論家らは悪くなかったと発言する


しかし、議席を減らす結果となったのだから、

それは示されたと言っても過言ではないだろう

それだけ共産党のイメージは悪いのだ


日本と中国は違う

そう明言したとしても

同じ共産党である

民主主義からかけ離れた社会が構築されるかもしれない


そんな危険を孕むかもしれない

可能性はゼロ?

いや共産党なら

その思いが国民のどこかにあるのだ


そして、結果が示された

これが国民の示した結果なのだ

それを理解できない野党であるならば、政権交代なんて夢のまた夢


それとも、周囲から文句を言うだけの野党の方が居心地が良いのか?


 


無罪はそろそろやめませんか

精神疾患があるから善悪の判断ができない
だから、無罪はなしにしてほしい
医療的な拘束はあるだろうとしても、自由に暮らせる

関係者、近所の方は帰ってくるのではないかという恐怖が付き纏うことになる

今後こういう判決とならないためにも
刑法の改正を考えてほしい

心神喪失で無罪
心神耗弱で減軽

理解できる国民はほとんどいないだろう
それを法だからと許してしまっている司法
そんな司法だから国民からかけ離れた存在となるのだろう

万が一にもこの無罪となった輩が新たに犯罪を引き起こしてしまった場合、判決を下した裁判官は必ず責任を負うべきだ

また、これで無罪を勝ち取った弁護士は勝ち誇っているのだろうか、国民の冷たい視線が降り注いでいることを忘れないでほしい

それにしても裁判員裁判ということで
苦しい判断を国民に背負わせてしまった司法制度も考えるべきものなのかもしれない