渕和分教会報「世界勇ませ」会長挨拶より 5月11日

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     二、三日前、教会の裏はタンポポが一面真っ黄色に咲き誇っていましたが、今朝見たらすっかり綿毛に身を包み一面真っ白になっていました。タンポポが健やかにのびのびしている一方、自粛生活に辟易とする私達ですが、如何お過ごしですか?
     普段あちこち出回っていて教会にいる事がほとんどない私にとって、これだけ教会にいて家族と共に過ごすことが出来る事は大変貴重な時間です。自粛が解除された時、逆に元の忙しい生活に戻れるだろうかと考えると一抹の不安を感じています。
     こんな中でも、立場の上で話し合いを進めなければならない事が多々あり、これまでLINE等のSNSを使用して文字でやり取りしていましたが、GW前辺りからZOOMなどのテレワークアプリを使用したビデオ会議が頻繁になり、在宅で数件の会議をこなす日もあります。人と人との直接的な繋がりを全面的に断ち切られる状況ですが、IT化のお陰で、これまでと形を変えインターネット上のオンラインで人と繋がることが出来ることはありがたい限りです。
     自分で変化を求める人、他力で変化させられる人、ぐっと堪えて変化を拒む人、色々な人がいると思うのですが、実は人間は生まれた時から死ぬまで変化し続けています。
     とある番組で科学者が、人間の身体は新陳代謝を繰り返し、六年経つと全ての細胞が入れ替わっていると言っていました。六年前の自分と今の自分は姿形は同じでも、細胞レベルでは全く違う細胞になっているとのことです。おふでさきに、
     いまゝでも 今がこのよのはじまりと
      ゆうてあれども なんの事やら    (第七号 三五)
     親神様が何も無いところから人間をお造り下された元始まり、命の起源は、九億九万九千九百九十九年前の時だけに留まらず、今現在も私達のこの身体あるいはこの世界で引き続き行われ続けているのだと感動しました。
     また、火、水、風の実なる御働きで私達は生かされ生きている。その広大無辺な御守護の世界は親神様の御働きそのものであり、元の神、実の神たる所以であります。
     変化に応じられないのはその心が頑なであるから。頑なな心を和らげる事で外部からの強制的な変化にも応じられるようになるのかもしれないですね。その柔らかい心になることも成人の一つであると私は思います。
     今は人間社会が大きく制限され、社会活動がままならなくなり、色々と対応しなければならない状況ですが、この対応はコロナ禍が終焉しても活かされるべき対応だと思います。先月申し上げました「慎みの心」を心のど真ん中に置いて色々なことに対応できる私達でありたいですね。
     今月の逸話篇はおやさまに親神様がお入込み下された立教直後のお話です。まだ中山家のみの段階かもしれませんが、私達にとっては天保九年とは、この尊い御教えが始まった大きな変化の時でした。ご家族の方々からすれば親神様という外部からの強制的な変化に感じたかもしれません。親神様としては決定事項であった世界だすけへの旬刻限ですが、夫善兵衛様や周囲の人々に三日三夜もの時間をかけて懇ろに話を説き聞かせ、問答し、承知をさせたのでした。
     今、改めて親神様から求められている変化(心の成人)に応じる心をお互いに作るべき時である思います。

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