稠密に攻囲され、花鈿のあしらわれた女とは生木を裂くように離された | スポーの“ここがヘンだよ闘牛士!”

二十三日(土)
もう一度、山越雑文に目を通す。さて、どうしようか。でも、思ったより、今回はわるいデキではないんじゃないか。思ったより。
どうも最近、頭が痛い。午前四時すぎに寝る。

午後二時半に起きる。休日。
センセにワデン。修正点は多々ある。決定的な欠陥も指摘され、それをいかに直すかを話し合う。うまく書ければ、よくなりそうだ。一時間ほどでセンセの携帯の充電が切れる。
軽く買い出しへ。
夜、充電復活したセンセからワデン。また山越雑文について討論する。一時間半ほどでセンセの携帯の充電が切れる。いや、もうその携帯、寿命だろう。買い替えてくれ……。

二十四日(日)
直し。午前六時くらいに寝る。

午後二時くらいに起きる。休日。
眼鏡ができあがったらしいので、引き取りに行く。デキが不安ではあったが、案外わるくなかった。クリングスの部分は折れることを恐れて直してくれなかったから、自力で捻じ曲げるしかないが。
オリーブオイルの小瓶を買って帰宅。やりすぎて、ノーズパッドが折れた。

二十五日(月)
直し。午前六時すぎに寝る。

午後二時半に起きる。特別休暇。
完全に昼夜逆転してるわな。また眼鏡屋に行ってノーズパッドを替えてもらい、ちょっといじってもらう。まァ、とりあえずこれでいいか。寸分たがわず、納得のいくデキになるなんて思っていない。
コロッケを買って帰宅。山越雑文の直し。

二十六日(火)
とりあえず、ざっと直した。二百七十七枚。
午前一時前に寝る。

午前三時前に起きてしまう。まァ、うまくいかんよね。
明け方まで、大昔の麻雀史上最強戦のDVDを観たり、YouTubeで麻雀動画を観たりする。雑文の参考になるかと思ったのだ。
高嶋哲夫『首都感染』を読む。
中国の北京でサッカーW杯が開催されているころ、強毒性の新型インフルエンザウイルスがひそかに流行しはじめた。W杯が中止になると同時に、ウイルスを体内に抱いたサポーターたちが自国へと帰っていく。その脅威は日本にも及んだ。国の対策本部に雇われた元WHOメディカルオフィサーの優司は、首都封鎖を決断する……。
昨今のコロナニュースで耳にする言葉も頻出する、話題の書。
ブツが売れたので梱包して発送、買い出し。
正午くらいに寝る。

午後四時まで午睡。
またもブツが売れたので梱包。

二十七日(水)
直し……。根幹がこんがらがってきた。しかし、めげずに一つ一つを直していき、軌道修正。できなくはないはずだ。
午前五時すぎに寝る。

午後三時に起きる。特別休暇。
ブツの発送をし、帰って山越雑文の直し。ほぼ網羅できたか。
ちょっと落ちついたので、競馬シーンも取っ払ったことだし、大昔の競馬雑文を修正して刷って封じる。

二十八日(木)
アンドレア・モティスのライブを観まくる。さすが情熱の国だな。同時進行で、雑文の直し。もうあと直すべきは、作業的なものだけかな。
午前六時すぎに寝る。

午後二時半に起きる。特別休暇。
あ……やっぱり“アレ”はダメだったようだ。わかりきっていたことだけど、いざ結果を明確に突きつけられると、残念な気持ちになるな。
郵便局に行って競馬雑文の投函、ついでにATMで通帳の記帳をすると、最近世間を騒がせている給付金が入っていた。買い出し。
K田サンにあらためて結果を報告する。会社側の対応があまりにも杜撰なことに、K田サンは自分のことのように腹を立てていた。僕はそこまで短気ではないので怒ってはなかったが、そういう考え方もあると知ると、別に未練もなくなった。僕の思考の流れの帰着を読んで慰めてくれただけかもしれないが。

二十九日(金)
午前七時くらいに寝る。

午後三時前に起きる。特別休暇。
定期券購入。ネット予約なら、こんなに簡単に新規定期が買えるとは。あとはもろもろ買い出し。
和気雑文を送ったばかりなので悩んだけど、慰霊雑文を修正して、投稿してみる。尻込みしていてもダメだしね。

三十日(土)
あとは会社雑文を軽く修正して、刷り、再出勤のために封じる。不純かな。じきに五月も終わるので、いろいろ手を打っておきたいんだろうね。
午前六時すぎに寝る。

午前十一時くらいに起きる。休日。
投函、クリーニング、買い出し。

三十一日(日)
慰霊雑文の細部の調整。こんなもんで、あとは抛っておくか。
眠すぎて午前一時に寝る。

午前十一時に起きる。休日。愚弟が帰ってくる。
ちょっと仮眠して、買い出し。長屋雑文のスジを読み返したが、これ、不備がありすぎる。再考か……。
小松左京『復活の日』を読む。
一九六×年、イギリスの細菌研究所で研究されていた新型ウイルスがスパイによって持ち出された。スパイを乗せたヘリはアルプス山中に墜落、砕け散った容器から溢れ出たウイルスが大気中に溶けこむ……。全世界にその殺人ウイルスが蔓延し、人類が滅びるのにかかったのは、たった二ヵ月ほどだった。
しかし、南極に滞在していた研究者――一万人ほどの人間だけはウイルスに冒されずに生き残っていた。彼らは人類の存続を守るため、自分たちが生き延びる、あらゆる手を尽くしていたが、地震予測のエキスパートである日本人・吉住は、いずれ北半球に来るであろう大地震を察知した。その地震によってアメリカとソ連の自動核攻撃装置が作動し、南極までをも撃ち滅ぼしてしまう恐れがあった。装置のスイッチをオフにするために、吉住は数名の志願者たちとともに、片道のみの燃料しか詰められなかった潜水艦で、アメリカへと向かう。しかし地震は起きてしまい、装置を止める寸前のところで、核ミサイルは発射される……。
それから五年後、ひとりの人間が、アメリカから徒歩で南をめざしていた。同じころ、南極人たちが文明復活のために次々と大陸に上がってきていた。彼らは東方からやってくる人間を目の当たりにする。それは吉住だった。彼は核攻撃装置のある地下にいたことで災禍をまぬがれていたのだ。感動的な再会を果たしたが、吉住はすでに半分狂っており、長くはもたなかった。しかし、それでいい、と考える学者もいた。五年前の核ミサイルの標的に、南極は入っていなかったのだ。無駄足、無駄死にであることは、彼は知らないほうがいい……と。
これは恐ろしく面白くて、読みだすと止まらない。とんでもなく暗い話のはずが、読後はなぜか気持ちが明るくなる。神の視点ともいえる、宇宙規模で俯瞰する筆者の語り口はじつにドライである。これはまったく悲劇ではないんだね。ほんのちっぽけな地球という星の五十億年の歴史にあっては、よくある話。小松左京の著書は、他にも読みたくなった。
さて――素晴らしい本が読めたところで、僕の怒涛の長期休暇は終わりを告げた。明日からひさびさの出社、仕事である。面倒。