2020夏至伊勢行(2)大潮に神前岬の潜島へ初参拝 | 日々のさまよい

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2020夏至伊勢行(1)二見浦の朝陽と夕陽 ←(承前)

 

 

二見浦で素晴らしい夏至のご来光を遙拝させて頂いた後、二見→外宮→月夜見宮→倭姫宮→月讀宮→猿田彦神社→伊雑宮→松下社、とぐるり巡って二見浦へと戻り、神前海岸を辿った先の潜島(くぐりじま)へ、初参拝に伺います。

 

 

 

 

昨年の夏至、下の過去記事でご紹介しましたように、神前岬にある潜島の存在を知って以来、いつ行けるものかと思っておりましたところ、

 

日々のさまよい/神前海岸

 

 

天気も良くなり、何しろ夏至で気温が低いわけではありませんでしたが、何やら寒そうなサチエ。

少し風が強かったかも知れません。

 

この海岸の先、神前岬に「潜島(くぐりじま)」という海食洞門があることを、堤防にあった案内看板で初めて知りました。

 

 

 

 

次の機会には、潮の干満を調べておいて、ぜひとも伺ってみたいと思っています。

 

 

今回、夏至伊勢行に先立って調べてみましたら、何とその夏至当日がちょうど朔日(さくじつ/ついたち:陰暦における月初の日)にあたり、月の満ち欠けだと新月で、潮汐(ちょうせき:海面の昇降現象)が大潮となる特別な日だったのです。

 

 

↓神前海岸の堤防にある案内看板

 

神前(こうざき)海岸と潜島(くぐりじま)

Kozaki Coast Kugurijima

 

 神前海岸は海水や磯波の激しい侵食によってできた岩石海岸で、各所に急峻な海食崖が発達しています。

崖面にみられる断層や節理と呼ばれる天然の割れ目などの弱帯には、立石崎の天の岩屋を始めとする海蝕洞が形成されており、特に神前岬の潜島は唯一の海食洞門を成しています。

 この潜島は神格化されており、旧暦6月1日頃になると村民総出で注連縄を作って洞門へと掛け替え、家内安全を祈願しています。

 潜島はこの先800mですが大潮の干潮時でないと行くことができませんので潮時にご注意ください。

 

そして、この大潮とは、

干満の差が最も大きい潮汐作用 (→潮汐 ) をさす。月に2回,月,地球,太陽が一直線上に近く並ぶとき,すなわち,満月 () と新月 () の時期に起る。

 

コトバンク/大潮/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 

ということで、今年の夏至はたまたま朔日と重なっていましたから、何とも奇遇で有り難いことでありました。

 

なお、大潮は陰暦ひと月あたり満月 (望) と新月 (朔) の時期に計2回、それぞれ数日にわたり、干満は日におよそ2回、地域によって日程や時刻も違ってきますので、事前に気象庁/潮位表で調べておく必要があります。

 

ちなみに、この夏至を含む6月については、このようなことでした。

 

気象庁/潮位表/鳥羽/06/01〜06/30

上で引用した潮位表で、2020/06/21(日)の月アイコンが濃紺だけの朔(新月)になっており、干潮が12:03に-106cmということになっています。

他に、2020/06/06(土)の月アイコンは濃紺にまん丸の望(満月)で、こちらの干潮は12:14に-119cmです。

それぞれ、朔(新月)はその後2日、望(満月)はその前2日ほど潮位が大きく低いですから、これらが大潮の日となります。

 

なお、このように満潮・干潮がおこる潮汐の仕組みについては、同じく気象庁のこちらのページで分かりやすく解説されています。

 

気象庁/潮汐の仕組み

ただ、この解説だけでは、私にとって理解し辛い点(上図で地球に作用している左向きの引力は月の引力として分かりますが、右向きに働いている遠心力ってのは何?)がありましたから、それについての説明を、この記事末尾に補足しましたので、ご興味ある方はご参照くださいませ。

 

 

 

 

と、前置きが長くなってしまいましたけれど、ようやく神前岬の潜島へ向けて出発です。

画面右奥、神前神社が鎮座されている小井戸口山の裾、堤防の端に小さく見えているのが、神前海岸と潜島の案内看板。

 

時刻は11:00を少し過ぎた頃で、干潮のピークとなる12:03までには引き返せるよう、念のため早い目の出発にしておきました。

万一にも遅くなったら、下手をすると帰れなくなりますから(苦笑)

 

 

 

 

颯爽と歩き出したサチエの遠く後方には、音無山。

その右下の海面に、夫婦岩があります。

 

 

 

 

神前海岸の砂浜が続きます。

大潮の満潮時には、海面がこの砂浜を覆い尽くしてしまうと思われます。

 

 

 

 

さらにサクサクと進むサチエ。

梅雨時にもかかわらず、天候が晴れていて助かりました。

朝のご来光もそのお陰でしたし。

 

 

 

 

次第に山が海の方へと迫って来ます。

波に洗われてきた磯の巨岩がむき出しです。

 

砂浜の上にも巨岩がゴロゴロ点在していますけれど、これらは長い年月のうちに山から転がって落ちた岩なのか、あるいは山そのものが海の波によって切り崩された残骸なのか、どうなんでしょう?

 

 

 

 

上の岩の反対側。

いずれ、遠い将来には波浪によって崩れ落ちるのかも知れません。

 

 

 

 

ポツンと浜に居座る巨岩。

まだゴツゴツとして角が取れきっていませんから、比較的に新しく山から転がってきたものかも、ですね。

 

 

 

 

右手前の小井戸口山の向こうに、神前岬の山が見えてきました。

けれども、この神前岬となる山そのものの山名が、調べたけれど分かりません。

 

ただ、神前岬は神前崎と呼ばれることもあるようで、「岬」は海や湖の水中に突き出た陸地の先端、まさに先っちょというニュアンスですけど、「崎」はもう少し広くその突き出た地一帯を示すようにも思えますから、もしかして、神前岬を擁するこの山そのものを「神前崎」と呼ぶのではないかとも思えます。

 

というのも、この山の頂上には「神前灯台」が建っており、そこの初点灯記念銘板に「神前崎灯台」と刻まれているそうで、この名称違いも、岬を含めたこの山そのものを「神前崎」と捉えれば、まあ合点がいくという感じですから…

 

ともあれ本記事では、神前岬の山を神前崎、と書いておこうと思いますので、もし正式名称をご存知の方がおられましたら、何卒お知らせくださいませ〜

 

 

 

 

左の神前崎(仮称)と右の小井戸口山の間に刻まれた谷間。

これを少し入った左手に、神前灯台へ至るルートがあるとのことです。

 

還暦過ぎの阿乱怒論/神前埼灯台(三重県)

 

 

 

 

谷間の前の海。

これをもう少し先へ進むと、砂浜が終わり岩場となります。

 

 

 

 

そうして砂浜もここで終点となりました。

厳しい磯の岩場が向こうへと続いています。

 

ここ神前海岸は、古来より船の難所としても有名で、

「伊勢の神崎 国崎の鎧 波切大王なけりゃよい」

と謳われてきたとのことです。

 

 

志摩市立図書館電子書籍/難船とその始末 伊勢の神崎 国崎の鎧 波切大王なけりゃよい(古文書にみる江戸時代の志摩 3 )

 

 

 

 

海の中にある岩礁も、もしかしたらこんな感じなんでしょうか。

 

 

 

 

来た方向を振り返ります。

先ほどとあまりパっと見の違いはありませんけれど、この砂浜が満潮の海水で満たされてしまった時のことを想像すると、ちょっとコワイものがあります(苦笑)

 

 

 

 

ようやく岩場の向こうに、白木の鳥居が見えました。

しかしながら、初めてここへ来た私たちには、その先どうなっているかが分かりません。

 

この鳥居へ至るまでの厳しい岩場を前にしたサチエが、「ここまでで、イイよね?」と弱々しく聞いてきます。

けれど、ここまで来て、潜島を目にすることもなく引き返すわけにはいきませんから、ともあれ私が先行し、前へズカズカと進みました。

 

 

 

 

足を滑らせないよう注意しながら、浮き石にも気をつけて進みます。

幸い、岩場は潮の引いた海面よりそれなりに高かったため、足元はかなり乾いていました。

 

 

 

 

鳥居より手前にあった「建設海岸基標」。

左横に、写真では見えにくいですが「終点」とあります。

調べても詳しいことは分かりませんでしたが、どうやら海の縄張りみたいなことを表すようで、この基標を海上境界の基点として、漁師さん達が漁場の区切りとしているようですけど…

正しいことご存知の方がおられましたら、ご教授ください。

 

 

 

 

 

サチエもガンバって付いて来ました。

ご覧のように、岩の合間に滑り落ちたら大変なことになります。

 

 

 

 

そうして、ともあれ鳥居に到着。

少しホッとしていますが、ここからでも、まだ潜島は見えません。

先の分からない不安に、サチエはしばし茫然としたまま…

 

 

 

 

鳥居からも私が先行して進みながら、後ろを振り返りました。

私の様子を遠くで眺めながら、なかなか前に進めないサチエです。

 

 

 

 

鳥居の先に、少し開けた場所がありました。

それでも、潜島は依然として見えません。

 

後で分かることですが、この先を右手に回り込んだ向こうに、潜り戸はあります。

 

ここでサチエを待つ間にパノラマ写真↓を撮ってみましたので、写真が横に寝て少し見にくいと思いますが、ご覧くださいませ〜

 

 


 

 

そうして、ようやく潜島が見えました。

なおのこと、岩場も厳しさを増しているような気がします。

 

 

 

 

サチエもどうにか追いつきました。

ということで、ここでもパノラマ写真↓あります。

 


 

 

 

潜島の海食洞門です。

 

この前に立ってまじまじと眺めていたら、それまでネットの写真や動画で見ていた印象と何か違うことに気付きます。

そう、注連縄がありません。

よく見てみると、左上の岩の間に注連縄の残骸があるようで、その注連縄を下げていたワイヤーはそのまま残っているようでしたが…

 

案内看板には「この潜島は神格化されており、旧暦6月1日頃になると村民総出で注連縄を作って洞門へと掛け替え、家内安全を祈願しています」とありましたから、今年は何か事情があり、未だ掛け替えができていないんだなぁ、などと思っていたところ、そこにイキナリ私たちの後ろから長靴をはいたオジさんが現れ、話し掛けられました。

 

「今年はね、コロナでさぁ、まだ注連縄かけられてないんだよ」

「あ、そうなんですか…」

「だもんで、今度ようやく掛けることになったから、ワイヤーの調子見に来たんだけど、こんなとこまでよく来たね」

「あ、はい、ぜひ一度お伺いしたいと思って、今日が大潮だったんでようやく来れました」

「そう、んじゃぁね」

 

とオジさんは岩場に足を掛け、洞門の上へと登って行き始めましたので、そこで慌てて声をかけ、

「あの、この洞門って、私たちが潜らせて頂いてもイイもんでしょうか? 神聖な場所だと思いますから…」

と尋ねましたら、

「ダメってことはないよ〜」

とお応え頂き、これもありがたや〜〜の出会いでございました。

 

 

 

 

ということで、先ずは海食洞門の前にてお参りをさせて頂きました。

 

お供えには、松下社へ参拝した際、その隣にある「民話の駅 蘇民」で購入し用意していた「五目おこわのおにぎり」とペットボトルのお茶です。

後ほど神前海岸の浜辺で撤饌(おさがり)として美味しく頂きました。

 

そうしてようやく、遠慮せずに海食洞門を潜らせて頂きます。

 

 

 

 

洞門を抜けると、すぐ目の前が伊勢湾の大海原です。

 

 

 

 

洞門を抜けたところで記念撮影。

 

 

 

 

洞門を出てスグの足元。

 

 

 

 

さらに記念撮影。

これが潜島で〜す、のポーズ。

 

 

 

 

洞門の向こうはさらにけっこうな岩場で、歩いて行けるのはここが終点となります。

 

 

 

 

そうして無事に、洞門からの退出となりました。

 

 

 

 

あらためて見上げると、こんな感じでワイヤーだけが残されています。

 

 

 

 

長靴のオジさんは、険しい岩場を慣れた足取りで自在に移動しながら、注連縄用のワイヤーを手繰って調整しておられました。

 

このオジさんと出会わなければ、私たちは遠慮して潜島の海食洞門を潜れなかったと思いますので、有り難いことこの上ないご縁でございました。

私たちが潜島にいた時間は、お参りを含めてもおよそ20分くらいのものでしたから、そのように短いタイミングで、まさにその場所でお会いできたことには、感謝しかございません。

 

この後、神前海岸の浜辺で、座り心地の良さそうな切り株の流木を見つけましたから、そこに二人で座り「五目おこわのおにぎり」とお茶を頂いていましたら、作業を終えた長靴のオジさんが奥さまらしき女性と歩いて来られました。

 

この奥さまは、帰りの浜辺でアオサか何か獲っておられる姿を見かけましたので、ご主人が岩場の高所で注連縄のワイヤーを調整されている間、浜辺でそのようにして待っておられたのだと分かりました。

 

お二人が近づいて来られましたので「ありがとうございました」とあらためてご挨拶をさせて頂くと、奥さまから「あら、イイ椅子があって良かったわね〜」と気さくにお返事を頂戴しました。

 

初の潜島参拝は、岩場が思ったよりかなり厳しいものでしたけれど、その景色は本当に素晴らしく、とてもホッコリと気持の温まる参拝とさせて頂けました。

 

 

 

 

 

■潮汐の仕組み[補足]

 

先にご紹介した気象庁の説明は、このようなことでしたけれど、ここで地球から右向きに生じている「→遠心力」について、よく分かりませんでした。

解説の本文には、「地球が月と地球の共通の重心の周りを回転することで生じる遠心力」とありますが、何のことだかまったくピンときません。

 

気象庁/潮汐の仕組み

なぜなら、一般に月の公転は、地球が不動の中心で月がその周りを回っているという、このような認識かと思いますので、

Volcano Fuji/自然科学と実験/月の自転と公転

そうすると、地球に生じる遠心力は2つだけ考えられて、1)地球の自転によるもの、2)太陽を中心とした地球の公転よるもの、となります。

しかしながら、1)だと、その遠心力は全方位へ向け均等に生じるもので、気象庁の図で月と反対側にだけ生じていることが当てはまりませんし、また2)とすれば、その遠心力は太陽と反対側へのみ生じますから、大潮のときの、太陽→月→地球という朔(新月)の場合と、太陽→地球→月という望(満月)の場合の同等性を説明できません。

 

そこで、気になりましたから調べてみたところ、そもそも月の公転について、上に示した一般的と自分で思い込んでいた認識が間違いだと分かり、疑問が氷解しました。

 

 

 

つまり、月の公転とは、地球が動かず止まっているのではなく、月と地球がその質量に応じた関係によって共々動いており、2つともが公転している、ということなのでした。

 

 

その2つともが公転している共々の動きとは、この動画↓を見ると一目瞭然です。

 

 

月と地球とは、両者の重心を結ぶ直線上の一点を中心として互いに回転運動をしている。この共通重心は、地球の重心から約4,600kmの位置、すなわち地球の内部にある。

 

月の直下では遠心力が弱く、反対側では遠心力が強くなり、地球から外向きの力が生まれている

 

Wikipedia/潮汐/遠心力

 

この動画を見て初めて、「地球が月と地球の共通の重心の周りを回転することで生じる遠心力」の意味が理解できました。

このように、月の公転では地球も公転しているんですね。orz

 

そこで、この動画で分かるように、で示された重心を中心として、地球の月側は小さな円(遅い速度)で回転し、地球の月と反対側は大きな円(速い速度)で回転していますから、月との公転により地球で生じる遠心力は、月側の方と比べて月と反対側の方が格段に大きい、ということになります。

 

これを素人なりの拙い理科力と算数力で計算してみたら、回転速度は回転半径に比例し、遠心力(遠心加速度)は回転速度の二乗に比例する、ということですから、月との公転で地球の片側それぞれに生じている遠心力の具体的な比率はこんなことになります。

地球の月側の回転半径(速度):地球の月と反対側の回転半径(速度) ≒ 1:6*

∴ 地球の月側の遠心力:地球の月と反対側の遠心力 ≒ 1:36(6の二乗)

*この1:6という比率は、上記の「共通重心は、地球の重心から約4,600km」と、地球の直径は約12,742 kmという数値から算出した概数です

まあ、もし、間違ってたらゴメンナサイ…

 

けれどこれ、よく考えてみたら当たり前のことでした〜

地球と月が互いに引き合う引力と、互いに離れようとする遠心力と、それら反対方向の力が同等に拮抗していなければ、そもそも公転なんか成り立たないで、月と地球が衝突したか、あるいは遠く離れ去ってしまったか、そのどちらかの筈なんですから(苦笑)

 

 

 

(つづく)→ 2020夏至伊勢行(3)鏡宮神社の虎石と瀧原宮の木登り蛙

 

 

 

 

 

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