ちいさな日々の物語

パンやお菓子のおいしいお話、日々の出来ごとなど、ゆるゆる書いていきます。

予期せぬ出来ごと・新型コロナ

2020-04-05 | 日記
"当たり前の日常 偶然の産物"
  

今日は昨日と同じようにあり、
明日も今日までと同じように過ぎていく。
いや、 以前よりも現在、 現在よりも将来に、
もっと反映して もっと快適な生活がある
はずだ。


私たちはいつもばくぜんと、
だが固くそう信じている。 しかし、
それが根拠のない思い込みに過ぎない
ことを、時折り突きつけられては
呆然と立ちすくむ。
普段の風景が異様な相貌で迫る。
 

東日本大震災で津波が街や野山をのみ
込んでいく様を目にして、一瞬にすべてが
破壊された光景に言葉を失った。


だがそれ以上に、
放射能汚染で無人となった町が以前と
変わらず止まっている様に戦慄を覚える。


目に見えない死がそこにあるからだ。
今、人影が消えた武漢や ミラノやニューヨーク
の街並の映像を見て、同様の衝撃を受ける。


心底からの震えは、
私たちが当たり前と思っていた現実が、
まったく違っていたと気づくから、いや、
なお気づきたくないと怯えるからであろう。

目に見えないものは恐ろしい。
さらに恐いのは、 私たちの心深くにある
見えない闇である。

 
私たちはこの世界が分かった気になっている。
だが、本当はこれが何なのか、生きるとはどういう
ことか、私たちはまったく知らない。


当然 享受すべき日常生活が理不尽に
奪われたのではない。当然だと思っていた
自然さこそ、途方もなく大きな要素が組み
合わされ、万事がうまく動いていた偶然の
産物、奇跡なのだ。


その基盤が、どれほど脆いものであったことか。
だが、目の前にある見えない危機は、私たちが
当たり前に思っていたことが、文字通り 「有り難い」
ことだと気づかせてくれる。


この世界に
美しい物語や幸せな結末はおそらくない。
日々新たに起こる予期せぬ出来事、
人間の小さな頭脳が想定すらしない生起に、
その都度冷静に理性的に、辛抱づよく
向き合うしかない。
 

人間の根本的な悲惨さから目をそらさない。
それはどういうことか。
  


「人間は一本の葦にすぎない。
自然のうちで最もか弱いもの、しかし
それは考える葦だ。 人間を押しつぶすのに
宇宙全体が武装する必要はない。
ひと吹きの蒸気、 一滴の水だけで人間を
殺すのには十分だ。
しかし宇宙に押しつぶされようとも、 人間は
自分を殺すものよりさらに貴い。
人間は自分が死ぬこと、 宇宙が自分より
優位にあることを知っているのだから。
宇宙はそんなことは何も知らない。」
  

  
(パスカル『パンセ』二〇〇、塩川徹也訳)
 
今は静かに、部屋で哲学者の言葉に耳を傾けたい。


哲学者・納富信留(のうとみ のぶる)東京大教授。


新型コロナウイルスの感染拡大は、
「当たり前」のように思っていた私たちの
日常生活を奪っている。

哲学者の納富信留さんは、このような
日々の中で、ある先人の言葉に思いを寄せる。
現在感じていることについて、
エッセーを寄せてもらった。
  
 ~2020年4月1日付読売新聞朝刊より~
 

前文を掲載させていただきました。











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2 コメント

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Unknown (secio11000)
2020-04-06 07:53:22
震災や台風の被害と毎年の様に戦って、海外からの支援も随分受けて来た。
日本が海外の被災を支援してきた事も有った。
今は、新型コロナウィルスとそれぞれの国で戦ってる。
一つの敵に勝つために、世界が一致団結できる・・・
もしかしたら良い機会なのかもしれない。
Unknown (omoide-polopolo)
2020-04-06 14:35:21
せしおさんへ。
言うまでもなく、これはわたし自身の言葉では
ありません。 
このように的確で無駄のない文章にまとめること
など、わたしには到底できません。
ですが、今のわたしの心境を映し出す、
まるで鏡のようです。

購読(読売)されている方は、すでにお読みに
なっていることと思いますが、私的にぜひとも、
記録しておきたくて、ここに(ブログ)掲載させて
いただきました。

共感していただけたならうれしいです。(#^.^#)

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