~思想の対立と心の分裂への処方箋~ | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。

自分が思索を広げる機会となる興味深いツイートが先日あった。

----------引用始め-------------
★親しくさせていただいているある方のツイート★

(中村哲医師は平和のために死んだと言う左翼の発言について)「○○の為に死んで偉い!」等と言っている輩は思想関係なくアホ。てかそんな風に称賛している人達がいるのか。残念がっていたり悔しがっていたり悲しんでいる人ばかりだと思っていた。右より左の方が危険とかそんな単純な話ではなく、偏っている人達が危ないのだと思う。右左どちらも極端は良くない。
---------引用終わり------------

思想が極端な人でも、誠実な方はいる。大切なのは、左右に偏っているかということではなく、人と接する時に相手の立場になって考えることだと思う。相手はどんな気持ちでこんな行動を取ったのだろうとか考えてみて、その上で自分も発言し、行動する。極端に偏っていても、信頼できる方は存在する。

左翼と右翼の対立には対話が必要だと思う。社会に無関心な層にも対話は必要だ。どんなに間違っていると思える言葉に出会っても、相手がどうしてそんなことを言ったのかを考え、いったんは受け入れた上で、否定したり自分の考えを言ったりするのが僕の理想である。

思想の対立を悪いことのように言う人もいるが、僕はそう思わない。思想をぶつけ合い、止揚することによって、思想は豊かになっていく。しかし、相手の立場を考えながら自分の立場を主張する対話(議論)が重要になってくるはずだ。そうすることで、絶対的正義の対立が相対化され、思想が柔軟になる。

何があっても揺るがない強固な思想ではなく、弾力性があって柔軟な思想が、これからの社会の対立を乗り越える上で肝要だ。なぜなら、意固地で強硬な思想がヘイトを呼び込むのだから。通常のヘイトは正常な反応でもあるのだが、悪質なヘイトは世の中を生きにくくさせる。

思想が極端でも、高橋源一郎を始めとして、相手の立場をまず考える柔軟な思想を持った人物は存在する。相手の立場になって考えるということは、自分の正しさをかっこでくくって脇に置いて考えてみることでもある。

思想が極端な人は否定しないが、中庸の思想に自分は憧れる。

----------引用始め-------------
蒼井優bot@aoi_yu_bot

リアルとファンタジーとか美しさとグロテスクさとか否定と肯定とか、両極端の要素が同じ力で広がっていくんですね。変態の道を突き進んでも品は失わない、そのバランス感覚が言ってみれば岩井さんの文学性なんでしょうし、それがわたしはたまらなく好きなんです。【岩井俊二作品について】
---------引用終わり------------

蒼井優botのこのツイートに僕は感動した。Xジェンダーであることや統合失調症を抱え、自分の中の両極端の要素を統合しなければ生きていけない自分にとって、希望となる言葉だった。

男と女、感情と理性、正気と狂気、右と左、上と下、あらゆる要素を統合して僕は生きたい。それでも品は失わない。そこに僕の文学性はある。

僕にとって大事なことは、どんな属性であろうと、正直な自分自身を生き通すことなのだと思う。

「飾らない何も。これ、オレの風景。
 のぞまない何も。自分を生き通すだけ。」
(100s「空い赤」)

こんな生き方ができた時に、分裂する僕の心は統合され、楽になれるのだろう。

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