音楽ディスとアイデンティティの棄損 | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。

自分の好きな音楽を否定されると怒る方が多いのは、その音楽を好きであることをアイデンティティの一部にしている方が多いからだと思う(もちろん例外もある)。

好きな映画を否定されても怒らないけど、音楽の場合は怒る方が多いのは、映画と音楽の興味深い違いを反映していると言えるのではないか。

議論をすることは大切だが、議論が個人のアイデンティティに関わると、冷静な議論ができなくなってしまう。

政策の中身については議論しやすいが、支持政党に話が及ぶと冷静な議論ができない、あるいは議論を避ける方も多いように。

音楽についても、その中身を議論すべきで、理由のない一方的なアーティスト否定は控えるべきでないか。(リスト係さんは、「うた」ではないからクソだとちゃんと理由を述べている。)

今まではできていない時も多かったけど、これからは音楽をディスる際には、賛否の両論を併記しようと思う。〇〇というアーティストの音楽は△△の点が素晴らしいが、□□の点が僕には受け付けられなかった、というような感じで。

音楽と紐づいたアイデンティティを傷つけることをなるべく軽減したい。急激なアイデンティティ棄損は、冷静ではない怒りを生むだけだ。

もちろん、アイデンティティは傷つけられて新たな要素を獲得するということもある。 自分が信者だった音楽が、ある人にメッタメタにディスられて、新たな視点を獲得するということもあるのだ。

だから、僕は読者の方が新たな視点を得ることを目標としつつ、なるべくアイデンティティを棄損しない方向性でいきたい。そのための手法が先述した両論併記の上で否を選び取ることだ。

しかし、否定的な意見だけを書き連ねるのも否定すべきではないと思う。賛否あった上で賛を取ったり、否を取ったりする僕の批評と同じく、否定的なだけの意見もその人のスタイルだから。

否定的な意見を書き連ねる方は、否定して溜飲を下げたい方もいるかもしれないが、新たな視点を提供していることは間違いないのだから。その視点で音楽や世界を眺めてみたら、新しく好きになる音楽も出てくるかもしれないし、世界の見方が変わるようになるのかもしれませんよ。