【言葉の暴力】木村花さんの死を無駄にはしない | とかげ日記

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僕は『テラスハウス』を観ていないので、木村花さんのことを全く存じ上げていなかった。だから今回のニュースで初めて彼女の存在を知ったのだが、大変痛ましいニュースで不憫に思う。





彼女が亡くなったのはSNS上の誹謗中傷が原因とされる。

一般大衆に比べれば圧倒的にマイノリティの芸能人は、誹謗中傷にさらされて声を上げても、中傷コメントを書き込む側から「芸能人だから中傷するのは許される」と思われることが多い。

「同じ人間でしょう?」と言っても、「芸能人は普段から注目されているから、誹謗中傷されても仕方がない」と返される。

これは芸能人への差別だと思う。

では、あなたが代わりに誹謗中傷されてみろよ。相手の立場になって考えるということを放棄した時、人間性の大事な部分をあなたは打ち捨てている。

木村花さんは相手の立場になって考えるということをしていた方だと思うんだ。『テラスハウス』にも構成作家がいて、木村さんはその脚本の悪役を演じているだけだとしても、木村さんは周りの人に迷惑をかけるのが嫌で、演じているだけとは言いづらい状況にあったのではないか。しかし、もっと自分の立場を押し出してわがままになっても良かったのではないか。

また、相手の立場になって考えていたから、誹謗中傷に反撃もしなかった。もっと自分のエゴを押し出して、警察に突き出すなどの反撃は取れなかったのだろうか。

一方、中傷コメントを書き込む側は相手の立場なんて考えない。自分の私的欲求の充満だけ考える。

今回のニュースに関連して紹介したい曲がある。うみのて「WORDS KILL PEOPLE」と「UNKNOWN IDIOT」だ。

「死ね」という
「殺す」という
「消えろ」という
「ゴミ」という
言葉が人を殺したよ
俺はそれをそれを見たんだ
高層ビルの屋上から
言葉が人を突き落したよ




「WORDS KILL PEOPLE(COTODAMA THE KILLER)」の歌詞どおりのことが今回のニュースでは起きてしまった。

僕のフォロワーにも「死ね」という言葉を使っている人がいるけど、安倍首相にもきゃりーぱみゅぱみゅにも言っちゃいけない言葉だろ。

そういう直接的な言葉遣いでなくても、人格否定は言葉の暴力だと思う。

批判するのなら、真正面から丁寧な言葉で批判を。

ヘイトもラブと同様に大切な感情です。ヘイトはラブと両輪で人と社会の成長や進歩を推し進めてきました。
ただ、ヘイトを吐き出す時には注意が必要だと思います。
"死ね"などの直接的な言葉遣いは、モロに言葉の暴力です。
国籍、性別、人種、職業などを指して、"○○だから君はダメ"と言うのは差別です。
そんな言葉で吐き出すくらいなら、胸の内にしまっておきたい。

一方、「UNKNOWN IDIOT」は、2ちゃんねるのことを歌った曲だという。笹口さんが2ちゃんのうみのてスレにいらついて作った曲だ。キーボードを叩く音と断頭台のようなリズムから始まり、虚無を埋める闇夜のようなギターが繰り出され、笹口さんのエミネムを真似たようなボーカルが温度を上げていく。

匿名の名のもとにしかなーんにもいえない弱ーい弱い名無しのお前
でも大丈夫だよ 安心しろよ
俺が死ぬまで見ててやる
お前がお前に気づくまで お前がお前を殺すまで




優しさや馴れ合いもあるが、否定と憎しみの渦にまみれた2ちゃんの世界にうみのては愛を持ち込む。メンバーの5人の顔を合成した、この曲が収録されているアルバムジャケットのような匿名の名無しのお前を吊し上げ、腐りきった心と顔を白日の下にさらす。半端なく濃密な2分半だ。

僕もこの曲に倣って言葉を紡ぐなら…。捨て垢のツイッタラーよ、お前はお前を消去する、他でもないお前自身の手で! 辺り一面に漂う心の腐敗臭では、明るい人間関係なんて作れまい。腐ったジメジメした人間関係の中で自家中毒で死へ一直線だ。

それが嫌なら、日向に出てきて。悪口で繋がるんじゃなくて、ポジティビティー(前向きさ)で連帯して。日陰の気持ち良さに慣れた身体には日向は辛いのかもしれないけど、その壁を突破して。カビの生えた湿った結び付きよりも、鬱屈した感情を持ち込まないカラッとした連帯でリアリズムのしんどさを克服していこう。これは自分にも言い聞かせていることだ。人はより楽な方へ流れたがる。僕も憂鬱の沼の中に気づけばハマっている。

僕はツイッターに関して、昨日からブログ更新通知以外のツイートをお休みしている。それは、ツイッター上に散在する禍々しい言葉の礫をもうこれ以上観たくないからというのも理由の一つだ。

僕が中傷者に対して反論しても、彼らが考えを改めることはないだろう。彼らは自分に責任を感じる自責型のタイプの人間ではなく、他人に責任を背負わせる他責型のタイプの人間であり、傷ついたのは相手が悪かったからという論理を用いるからだ。そして、彼らの頭は金属バットよりも硬く、相手の意見にも理があり分があるということを理解できないのだ。でも、『とかげ日記』にこの記事を載せることで、いくらかでもネット世論の醸成に与したいと思っている。

木村花さんの死を無駄にはしない。木村さんが天国で笑っていられるように、僕も誹謗中傷に抗う言葉を紡いでいく。


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