厚労省の障害者向け「就労パスポート」を法的に考える-個人情報保護法・プライバシー・憲法 | なか2656のブログ

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1.はじめに
2019年11月15日付のプレスリリースにより、厚労省職業安定局障害者雇用対策課地域就労支援室は、精神障害者・発達障碍者など向けの「就労パスポート」制度を創設したと発表しました。

・「就労パスポート」を作成しました|厚労省

就労パスポートとは、「(精神)障害のある方が、働く上での自分の特徴やアピールポイント、希望する配慮などを就労支援機関と一緒に整理し、就職や職場定着に向け、職場や支援機関と必要な支援について話し合う際に活用できる情報共有ツール」であるとのことです。(厚労省サイト「概要」より)。

厚労省サイトに掲示されている様式・ガイドラインなどによると、就労パスポートは、①職務経歴、②仕事上のアピールポイント、③体調管理と希望する働き方、④コミュニケーション面、⑤作業遂行面、の5つから構成されています。

なお、この就労パスポートは障害者の方に対してなんらかの法律により法的作成義務が課されている書面(必須提出書面)ではありません。
そのため就労パスポートを作成するか否かは就職活動を行う本人の自由な意思による判断に委ねられています。障害者本人は就労移行支援施設・採用企業等に対して就労パスポートの作成を断ってもなんら法的に問題ありません。
あるいは、従来より障害者雇用・就職の現場で行われている職務経歴書などへの記載による代替でも法的に問題ないこと、そもそも就労パスポートを作成・提供しなくても障害者の方は就労移行支援施設や採用企業などから何らの不利益を得ることはないことは、2019年11月15日に所管である厚労省障害者雇用対策課地域就労支援室の鈴木様に電話にて確認済です。
(このことは、障害者本人むけのてびき、採用企業むけのてびき、就労移行支援施設むけのてびきに明記されています。)



(「就労支援機関むけてびき」より)

2.「就労パスポートの情報取得と情報共有に関する同意書(参考書式)」
(1)記載情報の利用目的

就労移行支援施設むけの利用の手引きの最後には、「就労パスポートの情報取得と情報共有に関する同意書(参考書式)」(以下「同意書」とする)があります。

この1条は、記載情報(個人情報)の利用目的について、「(1)就労支援業務、(2)定着支援業務」と規定されていますが、これは就労支援施設(事業者)の業務すべてを抽象的に併記したものであり、個人情報保護法15条が本人(個人)の憲法上の権利利益(プライバシー権、人格権など基本的人権)を保護するために、事業者に対して個人情報の利用をできるたけ「必要最小限」とするために、個人情報の利用目的を「できるだけ特定」しなければならないとしている趣旨に鑑みると漠然としすぎており、違法のおそれがあります。

この点、個人情報保護委員会の「個人情報保護ガイドライン(通則編)」25頁以下は、法15条違反の例として、「当社の事業目的のため」「マーケティングのため」などの具体例をあげています。そのため、厚労省はこの利用目的を例えば「作成者の就労パスポートの作成支援のため」「作成者のアセスメントのため」などと具体的に利用目的を列挙すべきです。

また、個人情報保護ガイドライン(通則編)26頁は、事業者が個人情報を第三者提供する場合は、利用目的の一つに明記することを求めているので、「(〇)関係機関への第三者提供のため」などの記載が求められます。

さらに、就労移行支援施設むけのてびきには、随所に、「障害者が就労パスポートの作成を断っても、就労移行支援施設側が積極的に提案しても問題ない」「障害者本人が就職活動をはじめて「困り感がみえだしたら」(原文ママ)、再度就労パスポートを提案するよい機会である」「採用企業は、就労移行支援機関が就労パスポートをとおして障害者本人の内面を深く知っていると安心します」などという医療機関側の目線特有の尊大・傲慢な記述があふれています。(就労機関ガイドライン22頁)

障害者といえでも成人した国民であり、このような医療機関およびそれを監督する厚労省が、まるで就職活動を行う障害者をまるで半人前の子どものごとく扱うのは、障害者本人の自己決定権(憲法13条)や人間としての尊厳すらあざ笑うかのごとき行為・処分であると思われます。これはいわれのない差別であるともいえます(14条1項)。

そもそも障害者も国民の一人であり、就職する自由・権利を有しています(障害者雇用促進法3条、職業安定法2条、憲法22条)。にもかかわらず精神障害者の就職を不当に制限しようとするこの就労パスポート制度は、障害者の働く権利をブロックする違法・不当なものです。

また、とくに「採用企業は、就労移行支援機関が就労パスポートをとおして障害者本人の内面を深く知っていると安心します」との趣旨の記述は、採用活動を行う障害者にとって恫喝・強要・脅迫のたぐいです。

これらの営業トークで就労移行支援組織や採用企業の人事などが、障害者本人に対して事実上の強制によりセンシティブ情報のつまった就労パスポートの提出を強要するのなら、それは個人情報保護法の「偽りその他不正な手段により個人情報を取得してはならない」に抵触し違法です(17条)。

(2)採用企業に就労移行支援施設が記載情報を第三者提供(情報共有)する場合の同意書
厚労省の採用企業向けのてびきをみると、その最後の部分において、就労移行支援施設むけとまったくおなじ同意書の参考様式が添付されており、「「支援機関名」を「企業」に読み替える」と説明されています。

しかし、採用企業への第三者提供・情報共有に就労移行施設の同意書を流用することはあまりに無理があります。たとえば、仮に流用すると、第1条の利用目的では、採用企業は原則「定着業務」がメインになるはずなのに、「就労移行支援」という不要な利用目的が存在するので、法15条違反となります。

また、就労移行支援や連携する医療機関などの利用の趣旨は「作成者本人の就労・長期の就労の支援」をすることによりもって就労移行支援施設が収益を得ることなどとなるでしょうが、採用企業側の目的は自社の経済的利益の拡大であり、自社にあわない障害者労働者であればすぐ雇止め・解雇などを行うので、両者の関係や利用目的は大きく違うのであり、やはり別の書面を準備する必要があると思われます。(民間企業も安全管理措置を定めたプライバシーポリシーなどを制定していますが、「個人情報保護規程」であるかどうかは個社ごとに異なります)

さらに厚労省が採用企業と就労移行支援施設との関係における同意書を作る際は、この就労パスポート制度においておそらく一番問題が大きいと思われる、同意書を採用企業が定着支援などのためでなく、採用選考の判断に利用してしまうことを阻止する条文を準備すべきであると思われます。

たとえば「就労パスポートは法律で義務付けられた書面ではないので、採用企業はこれを採用選考に利用してはならない。応募してきた障害者に提出を要求してはならない。採用選考にあたり求職者が就労パスポートを提出しなかった、一部しか開示しなかった、または文章量の多い少ないで、求職者を不利益に取り扱ってはならない。」などと明示すべきではないでしょうか。

このような作成者・障害者本人にとって重要な事項を規定しないまま取得する同意書は形式的なものであり、法的にあまり意味がないように思われます。

(3)採用企業は就労パスポートを採用選考の判断に利用してはならない
就労パスポートはあくまでも障害者の方本人が自己の傷病・障害の特徴を理解すること、就労移行支援施設はその援助をすること、採用企業はインターンシップでの受け入れや採用が決まったあとの障害者への合理的配慮などを行うための制度であり、採用企業が採用選考に利用してはならない旨は、この就労パスポートの各手引きのあちこちに一応明記されています。しかし、採用企業向けてびきにおいても、3-1において明示されているものの(4頁)、採用企業が採用を行った後について説明した、5-1の部分(14頁)ではなぜかまったく記載がないことが不安感が残ります。この点厚労省は改正を行うべきです。

(4)障害者本人の署名・年月日
同意書の最後の部分には、作成者である障害者本人が署名する欄が一つしかない一方で、年月日の欄が複数あります。てびきによると、就労パスポートを見直し更新するたびに、この同意書の日付部分を追記し、証拠として残す趣旨であるそうです。しかし、民事訴訟法228条4項が「私文書は、本人…の署名又は(記名)押印があるときに真正に成立したものと推定する」と規定しているのですから、証拠として残すのであれば、年月日だけでなく署名欄あるいは記名押印欄を複数もうけるべきです。

(なお、この同意書をみると、「作成者」、「サービスを受ける者」、「対象者」、などと障害者本人の呼称があちこちでバラバラとなっています。どれか一つの呼称に統一すべきです。(なおとくに一番最後の「対象者」は、国は障害者をモルモット扱いしているかと深刻な疑問がわきます。厚労省職業安定局障害者雇用部門は法律にうとい方ばかりなのだろうかと国民として不安です。)

3.その他
(1)就労パスポートのファイル形式

就労パスポートの様式・ひな形がなぜか長文の入力や編集のしにくいExcel形式となっているのは疑問です。Word形式も掲載すべきなのではと思われます。

(2)著作権?
てびきなどには、「就労パスポートなどの著作権は厚生労働省に帰属します。営利を目的とした利活用は禁止します。」とあります。しかし、就労移行支援機関や採用企業が障害者への支援事業や採用活動を行うことは「営利活動」そのものであり、このままでは就労パスポートはなんのためのツールなのか意味不明です。なお、著作権法は、教育目的、図書館などについては著作権の除外規定を置いていますが、医療はその範囲外です。厚労省は組織内にリーガルチェックを行う部門が存在しないのかなと疑問・不安です。

(3)就労移行支援施設の個人情報保護規程
上でみた、就労パスポートの情報取得と情報共有に関する同意書は、就労パスポートに個別の事柄を定め、その他の詳細は各就労移行支援施設の定める個人情報保護規程にゆだねる建付けとなっています。

しかし、就労移行支援施設大手のatGPやLITALICOなどは、少なくともウェブサイト上から見るかぎり、しっかりとした個人情報保護規程やプライバシー・ポリシーを用意していないようです。

障害者の利用者本人の医療データ・障害データというセンシティブな要配慮個人情報を取り扱う事業者としては由々しき事態ではないかと思われます。厚労省の担当部署などは、必要に応じて報告徴求・指導・助言などを行うべきではないかと思われます。

(4)守秘義務?
就労移行支援機関向けてびきには、「就労移行支援機関」には「守秘義務」があるという用語が何か所かでてきます。しかし、就労移行支援機関で働いているのは医者・看護師などではなく、心理士、社会福祉士などであろうと思われますが、心理士などの法令に用いられているのは「守秘義務」ではなく「秘密保持義務」です。所管の主務官庁が法律用語を間違えるのはどうかと思われます。厚労省職業安定局は誤字脱字のチェックを行うべきです。

(5)障害者の憲法上の基本的人権保障の観点
国民の個人の内心の自由・思想信条の自由は絶対に保障されます(憲法19条)。また、プライバシー権や人格権、自己決定権、自己情報コントロール権も憲法により保障されています(13条)。民間企業や職場などが個人の内心の自由やプライバシーを侵害した場合、これは民事の一般原則(民法90条など)により違法となります。

採用選考段階について、昭和40年代の古い判例は、雇用関係にある労働者の内心の自由などは手厚く保護されるべきであるとする一方で、採用選考段階においては企業の採用の自由を重視し、思想信条などについて質問することなどを認めています(最高裁昭和昭和48年12月12日判決・三菱樹脂事件)。

しかし、職業安定法5条の4と関連する厚労省指針通達平成11年第141号第4(個人情報保護)は、求職者の個人情報保護を採用企業などに求めています。

今回制定された「就労パスポート」と各種の同てびきは、たしかに憲法25条を具体化するための社会保障・障害者の福祉という積極目的にたつものではありますが、しかしこの就労パスポートは、障害者雇用促進法、障害者総合支援法など国会の審議を経た法律になんら根拠を持たない行政の通達レベルのものである点で、障害者の国民の内心の自由やプライバシー権侵害など、人権侵害の懸念が残ります。

厚労省職業安定局障害者雇用担当部署は、原則にもどり、職安法3条の平等原則や、5条の4および厚労省指針通達平成11年第141号の定める個人情報の厳格な保護のスタンスに立ち戻り、この「就労パスポート」を就労移行支援施設目線・採用企業目線ではなく、就職を求める障害者目線で抜本的に検討しなおし、場合によっては従来どおり「必要なし」とすべきです。(本来このようなセンシティブな事項は、本人の自己決定に基づき、就活の際に障害者本人が職務経歴書に書いたり、あるいは面接の場面で本人自身が口頭で企業に伝えればいいだけの事柄です。)

(5)そもそも精神障害者等のみを対象とした統一の「就労パスポート」は必要なのか?
就労パスポートの記入事項をみると、全体的に、コミュニケーション能力、業務遂行能力などについて多くの記載事項がある「フルセット」なものとなっています。しかしこれらの記載事項が必要なのは精神障害者などの中でも重度なごく一部の疾患なのではないでしょうか。例えば、うつ病(気分障害)と発達障害では症状はまったく異なります。なぜフルセットの広範囲で厳重な質問項目の山をすべての精神障害者に対して行うのでしょうか?

フルセットで一律の書式を精神障害者全てに要求することは個人情報保護法15条の、個人の人権を守るための個人情報の収集を必要最小限とするための「利用目的をできるだけ特定」の考え方にも反しますし、なにより障害者本人を半人前の子どものように扱っているようであり無礼・失礼です。精神障害者等を狙い撃ちにした差別、あるいは最近流行りの言葉でいえば国・政府による「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」ともいえるのではないでしょうか。

厚生労働省職業安定局障害者雇用対策課は就職を求める精神障害者を一人の人格を持つ国民ではなく、人権のない奴隷くらいにしか考えていないのかと疑問です。障害者虐待防止法、差別禁止法、雇用促進法や、職安法や憲法などが幾重にも定める基本的人権、人格権や平等原則を、国の一機関である厚生労働省職業安定局障害者雇用対策課がどうでもいいものと考えているのなら恐ろしいことです。


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