ども、あやめだす
子供達が大きくなって
あやめ1人の時間が本当に増えました。
我が家は旦那が単身赴任の為
なおのこと1人の時間が増えた次第です。
年子で旦那不在なことが多かったこともあって
子育てはいつも時間に追われ、1人の時間なんて子供達が寝るときぐらいなもんでした
あやめは若い頃から1人の時間が
案外と嫌いではないのです。
若い頃は、己の弱さと芯(信念)の無さ
対人でしか己を測れず
存在意義を見出せず
己で己を認めることが出来なかった。
それ故、感情のコントロールなんてあったもんじゃなく
寂しさ、虚無感、孤独感に襲われることが多々ありました。
1人の時間はえらく怖く、かと言ってずっと誰かと居られる訳もなく
誰かとずっと居れば居たでえらく疲れて、、、
といった感じで矛盾しまくりな
当時はとりあえず1人で何かをするようにしていました。
(10代の頃の話です)
買い物したり、映画を観に行ったり、本をしこたま読んだり、お風呂屋さんに行ったり
バイクの免許を取って1人気ままに出かけてみたり。
人と離れることは怖かったけど
そうして1人の時間を過ごすようになって
当時のあやめにとって、1人の時間は最も心の安定を図る安定剤へと変わって行ったことを今でも覚えています。
そして、自分の時間を大切に出来るようになってからの方が人の有り難みや、人の尊さみたいなものも知りました。
1人になると、自分と向き合わなければいけない時間が必然と漠然とあると思います。
それは当時のあやめにとっては、とてもとても耐え難いものでした。
何かをしていなければ、己を見なくてはならないようで怖かったのだと思います。
1人で過ごす時間の必要性や、心の安定があることは知ったが、己と向き合うことは無意識に避けていたのだと今ならわかる。
今、自分の時間にはさほど何もしないことが多いです。
ボーっと考えるときは考える。
向き合うべきことがあるときは自然と向き合うことをしているし
考えることがないときは、まず寝る 笑
それから変わらず映画を観に行ったり、本を読んだり、好きな音楽を聴いたり、お風呂屋さんに行ったり、気ままに神社仏閣に行ったり
1人の時間を満喫して、心が満たされて
その上で人と接することができる。
孤独に限らず、あやめの中で
怖いものが無くなったのだと思う
人が一番怖いものは、自分と向き合うことなんではないかなと。
死は怖いと言うけれど
死は誰にでも平等に訪れて
出来ることなら死にたくないなとか、痛い思いせずに楽に死にたいなとかは思うことはあれど
自分と向き合って日々を過ごしていれば
後悔はないと。
後悔をするのは
己と向き合わず、己の真の心の声に耳を傾けず
日々をただただ過ごしているからではないだろうか。
自分の全てを認識すること
それは誰よりも己で己を認め、己を慈しみ、己の心を大切にする行為
己を大切に出来る人間は
他人をも大切に出来る
己の弱さを認められたら
他人の弱さをも慮り許容出来る
それが俗に仏教やらなんやらで言う
慈愛の心の発端なのだろうとあやめは思う。
物事には何事も起点となっているものがある
その起点は全て我にある
あやめ
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