☆最期のときを想う☆ | あやめのスピリチュアル日記〜電話鑑定してます〜

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自身の経験と葛藤から得た私流の主観で日常の色々なことを綴っていきたいと思います♪( ´▽`)

電話でスピリチュアルカウンセリングをしています。ご相談内容から、霊視や透視を元に必要なことをお伝えしています。



久しぶり?の成田山新勝寺

これで少しはスピっぽいブログ写真になったかなグラサンウシシ








成田山に着いたときは曇っていたのですが

護摩祈祷が終わって外に出ると

晴れ間が見えて来ました照れ




ども、あやめだす口笛


人生、色んなことがあるなぁとしみじみ思う。



ちょっと真面目に書いちゃうけど



コロッと逝けることは幸せだと人は言う。

あやめも目指すはピンピンコロリである。


でも、真にそれを幸せだと思えるときは

悔いなく生きた人なのだと思う。


そうでない人は、呆気に取られて、受け入れることなど到底出来ないと思う。


誰にも文句一つ言えない。

謝ることすら出来ない。


悔い改めて思い直すことも、もう今生では許されないということ。

やり直しはきかない。


死が訪れたら、今世はそれで一区切りなのだ。


(肉体は無くなっても、思念が残り続けるということはあるだろうけど)



余命の宣告を受けて死んだ人は苦しいだけだろうか?

いや、自分の命の灯火の時間を知れたことで

徐々に受け入れて行けるのかもしれない。


言いたいことを言えて、悔い改めてやり残したことを少しでも消化出来るのかもしれない。


ずっと悔やみ続けて、苦しいだけの思いを抱える人もいるだろう。



どの死様が幸せかなんて、人それぞれなのだと思う。



どの道

悔いなく生きている人なら受け入れられる



何も考えずに、明日が当たり前のように来るものだと思って生きている人には、きっとどれも苦しい。



死ぬとわかっていたらもっと、、、と人は言うだろう。



その人にとって最後の苦しみの感じ方は


人によるとしか。



その人の魂の熟練度と、今世でやると決まっている範囲までによるんだろうなと思う。



語弊がある言い方になるかもしれないけど


『ロクな死に方をしない』

って言葉は


自分にとって嫌なもの、一般的に嫌だと思われるものでしかない。


その人にしか、ロクな死に方かどうかもわからない。




人の命は儚く、あっけない。

だからこそ、尊く美しいものでもあるのだろうと思う。





楽しく生きたいですよね照れ


時に脱線してしまうことがあったとしても

一般的に失敗だと思われるようなことを幾度となく繰り返してしまったとしても

自分の中で反省することが何度あったとしても

(反省することしきりですが、、、)



自分の納得する着地点に向かって


瞬間瞬間に思いを込めて

一つ一つ丁寧に

悔いなく生きたいなって思います照れ



何が正解かなんてないのだから

右往左往したっていいじゃないかチュー




あやめ


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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