10月だからといって、こんなにも気分が落ち込んだ事はなかった。
ただ、立て続けの台風や大雨の被害、連日目にする惨状には言葉を失った。
止めのように入ってきた首里城の火災のニュースには、もう、力を失ってしまった。
神無月なら毎年のこと、それにしても神は何処へ去ってしまわれたのかと思う程、不自然な程に悪い事ばかりが続いた。
2001年頃、ANAの商品で「超割」というのが発売され、日本全国どこからどこへでも片道1万円で行けるとあり、それまで飛行機に乗る事もなかった僕も、思わず飛び付いて。
折角なら日本の北と南はまず制覇しようと、相方の故郷熊本に沖縄本島・離島や北海道等、旅程を立てるのも楽しくて、年に何度も旅していた。
沖縄へも2001年に初めて訪れ、ハマり、よく通っていたww
本島に到着したらまずは南部を周り、那覇に宿泊。
2日目の最初に首里城公園に行くのを定番にしていた。
その当時から映像や写真を撮るのが好きで、多くの写真がアルバムにもあるけれど、現地で撮ってもらう観光写真も何度かお願いして、送ってもらったものもあって。
ただ、形になっている写真や映像よりも、沖縄の各地を訪れた時の印象は今でも自分の中にも残っていて、もう20年近くも前の事なのに。
今よりもっと時代はまだ温かかったし、日本も本当にみんなまだ元気だった。
今はなんだか心が無いし、薄っぺらい。
僕だけがそう感じているのなら老化だろうけど、10代でもそう感じている人もいるようだから、やはり色々と変わってしまったんだね。
車が自動で動く事よりも、5Gよりも、もっと大事な事があるのにな。
進化の押し付けよりも、その時々のその土地の大切なもの、自分の周りの大切な人を守るにはどうすれば良いのか?
それにはそんなに大した進化は必要とは、僕は思えないけれど。
僕が子供の頃の1980年代でさえ、別に不便なんて感じなかったし、充分に幸せだった。
2000年を過ぎた頃から、個人的にはだんだん少しずつ暗くなってきた印象だけれど、沖縄の青空やソーダ水のような海、首里の朱には目が覚めるような感動だったし、荘厳な歴史を感じるのに復元か否かは関係なく、やはりそこに立てば個々に考える事感じることがあり。
沖縄の方々にとっては尚更、日々の生活の中にある事が当たり前だった尊い存在。
喜怒哀楽を繰り返しながら生きる中で、いつも傍にいて見守ってくれる、包んでくれるような温かい存在であったのではないかと勝手に想像する。
僕なら自然とそう思うから。
再建がいつかとか、それを急ぐ事よりも、今度こそは慎重に、またこんな悲しい事など2度と起こらないように、材料や技術ある人手等課題も多いけれど、幸いにも焼け残った文化財などもあるし、落ち着いた後、周りの公園だけでも再開しながら、是非ともゆっくり大切に再建していってほしいと思います。
何度もお邪魔して、多くの思い出を刻んだ場所のひとつである首里城。
僕も出来る事から協力させていただきますし、何十年かかってもまた御庭に立ち朱に囲まれて空を見上げたい。
沖縄の方々はいつも明るく笑顔で接してくれて、本当に沖縄の太陽「てぃだ」の様で。
そんな方々が泣いている姿など見てられないです。
本当に、心から皆さんが笑顔になれる日が来ますように。
一緒にまた立ち上がりましょう!
最後に、2001年 ・ 2002年 ・ 2005年に訪れた際に撮った映像をまとめてみました。
画質も悪く、ノイズ他至らないところが多いですが、良かったらご覧いただければと思います。
ことぶき。ARCHIVES 「首里城公園」 沖縄県那覇市
2001年7月5日(木) / 2002年4月13日(土) / 2005年7月5日(火)