みちのくの風を関西に吹きこむ夜行高速バス(2)~大阪-鶴岡・酒田線 夕陽号~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。


いわきから大阪まで夜行高速バス「シーガル」号で一夜を過ごし、京都での所用を済ませれば、次は「夕陽」号で庄内へ向かう段取りである。


だが、その前に難問が控えている。
同じく京都へ出て来ている同僚から、

「伏見に、地元の酒蔵が造っている酒を揃って飲ませる店が出来たんですよ。仕事が終わったら一緒に行きませんか」

と誘われたのである。

困ったことになった、と思う。
常ならば勇んで同行するところであるが、「夕陽」号が始発のOCATバスターミナルを発車するのは19時40分である。
所用を終えたのは午後5時過ぎだったが、京都駅から近鉄京都線で15分程度の桃山御陵前駅、もしくは三条京阪駅から出ている京阪本線伏見桃山駅が街の玄関となっている伏見まで足を伸ばし、1杯引っかけた後に、OCAT最寄りの地下鉄もしくはJRの難波駅までたどり着くためには、どう足掻いても1時間以上は掛かる見込みで、お付き合いできる時間はたかだか30分足らずになってしまう。

この日のうちに帰らなければならない、と伝えてはあるものの、同僚は当然のことながら僕が東京行きの新幹線に乗るものと考えているはずである。
夜行高速バスで東北まで行くことを告白するのも恥ずかしいし、付き合いよりも趣味の方を優先するのかと思われてしまうのも上手くない。

所用の合間に、スマホの乗り換え案内を何回も開いては、ああでもない、こうでもないと、伏見から大阪へ向かう交通手段を検討する羽目になった。


伏見にいる人間が大阪へ出るためには、伏見桃山駅から京阪本線で淀屋橋駅に向かう方法が乗り換えもなく簡便であるが、京阪間を結ぶ京阪、阪急、JRの3本の鉄道では京阪が最も鈍足で、準急と特急を乗り継いでも50分を要する。
淀屋橋駅から難波駅まで地下鉄御堂筋線で5分だが、そこからOCATまでは僕にとって初めての道のりで、OCATのHPには徒歩10分程度と記載されているものの、その時間の通りに迷わずたどり着けるのか、自信がない。


最も所要時間が少なそうに思えるのが、近鉄線で京都駅に戻ってJR東海道線に乗り継ぐ方法で、京都駅と大阪駅の間は30分足らずなのだが、桃山御陵駅から京都駅までの近鉄線の所要時間を合わせると、結局は京阪と大して変わらない50分近くを要する。
しかも大阪駅から難波まで行くためには、地下鉄御堂筋線に乗り換えるか、大阪環状線で今宮まで半周して関西本線でJR難波駅に向かうかの二者択一で、前者の乗車時間は10分程度なのだが、改札を出て乗り換えなければならないし、後者は乗り換えがスムーズでも、30分近くを要してしまう。


京都と大阪の間を新幹線にすることも、真剣に検討した。
京都駅から新大阪駅までは僅か13分で、さすがは新幹線と感心する韋駄天ぶりであるのだが、新大阪駅の新幹線ホームから地下鉄御堂筋線へ乗り換えるためには、以前に、広大な構内を延々と歩かされた記憶があり、乗り換え案内でも「移動14分」などと書かれている。
御堂筋線で新大阪駅から難波駅まで14分、JRを使うと東海道線で大阪、環状線で今宮、関西本線で難波と乗り換えが増え、地下鉄の2倍近い時間を要し、高い新幹線料金を払う割に在来線と大して変わらないという最悪の選択肢であることが判明した。

結局、OCATで「夕陽」号をつかまえるためには、どの経路を選んでも、伏見を午後6時20分頃に出なければならないのであった。


「夕陽」号は19時40分にOCATを発車してから、南海なんば高速バスターミナルに19時55分、大阪駅桜橋口に20時20分、京都駅八条口に21時30分、と関西地区であちこちに立ち寄ってから酒田へ向かう。
僕が始発地からの乗車をさっぱりと諦めて、大阪駅から「夕陽」号に乗ることで妥協するならば、伏見を午後7時過ぎに出れば良く、1時間半は仕事仲間と飲むことが出来る。

いっそのこと京都駅前から乗れば、伏見での滞在時間は一気に3時間以上へと拡大されるのだが、せめて大阪市内から乗りたいと言う拘りを捨て切れない。
そもそも、京都に程近い土地にいる人間が、京都にも停車するバスにわざわざ大阪から乗ろうと苦心しているのだから、他の正常な人間には理解し難い悩みであるだろう。
「シーガル」号に間に合うよう、途中停留所からの乗車をあれこれ検討した前夜のことを思い出すと、今回の旅は、どうもそのような運命に付きまとわれているようである。


伏見に来たのは初めてだった。
近鉄桃山御陵駅に降り立ち、ほぼ隣接している京阪伏見桃山駅を踏切で越え、買い物客で賑わうアーケードをぶらぶらと歩くのは、楽しい。
探し当てた「伏水酒蔵小路」は、地元にある18軒の酒造が、1区画ごとに屋台のような雰囲気の簡素な店舗を並べている。

この店に来たことのある職場の先輩から、

「あの店に行くならこれを頼みなよ」

と、出発前に強く勧められたのは、18蔵の利き酒が出来る「粋酔セット」で、僕らは迷わず幾許かのつまみと合わせて注文した。
運ばれて来たのは、1合入りのグラスがぎっしりと並べられた木枠で、その壮麗な見栄えを見た僕らは、思わず歓声を上げた。

「いわゆるインスタばえって奴ですね」

と、カメラが趣味の同僚はしきりにシャッターを切っている。


利き酒は木枠の奥の左側から飲んでいくのが流儀で、奥の段が冷やで飲んだ方が美味しい銘柄、手前になるほど常温で飲む方が美味い銘柄という配置になっているそうで、飲みながらぬるくなっていく時間まで配慮されている。
大いに語り、大いに食べながら、五臓六腑に染み渡るようなコクの深い味を楽しみながら、次々とグラスをあけていくのは、まさに至福の時だった。

ほろほろと盃を重ねるうちに、乗車地なんか何処でもいいじゃないか、このまま「夕陽」号の京都発車まで過ごしてしまえ、という誘惑に逆らうのは難しい。


どのように言い訳して席を立ったのか、よく覚えていないのだが、ふらふらと足元が覚束ない身体に鞭打って、もう少し飲んでいくという同僚と別れ、ふと正気に返ると、僕は桃山御陵駅19時07分発の近鉄電車のロングシートの一隅に腰を下ろしていた。
何の因果でここまでしなければならないのか、と自嘲する余裕もないくらい酔っ払っていたのは、幸いだったかもしれない。

京都駅に19時18分に着き、19時29分発のJR新快速電車に乗り換えて大阪駅に20時ちょうどに到着する頃には、多少は酔いが覚め、頭がシャンとなっていた。


 庄内交通と共に「夕陽」号を運行する南海バスは、もともと南海難波駅直上のサウスタワービル5階にある難波高速バスターミナルを拠点としていたが、平成24年7月から大阪駅桜橋口の西側のガード下にあるアウトドア店ALBi前にも停留所を設けて、夜行高速バスを停車させている。
あべの橋と上本町を起終点とする高速バス路線を展開していた近鉄バスも、平成15年に、地下鉄東梅田駅近くの御堂筋沿いに大阪駅前停留所を設置したことから、僕のようなよそ者は、ミナミよりもキタの方が人が集まりやすいのか、などと思ってしまう。

大阪駅を拠点とする西日本JRバスの高速路線にはOCATに寄る系統が少なくない一方で、梅田を発着する阪急バスの高速路線は、梅田-高松線を除いてミナミの停留所にはいっさい停車しないのである。

大阪駅桜橋口の脇にあるガード下の停留所は、南海バスのHPで場所を確認しておいたから、すぐに分かった。
桜橋口には、かつてJR高速バスのターミナルが置かれて、昼夜を問わずひっきりなしに高速バスが発着し、よそ行きの恰好をした利用客が錯綜していたものだったが、バスターミナルは平成23年に大阪駅の北に建つノースゲートビルに移転している。
ここから数え切れないほど高速バスに乗り込んだ時のことが、懐かしく思い出される。


打って変わって閑散としてしまった桜橋口を、若干の寂寥感と共に横目で見遣りながら、駅ビルを出て、暗いガード下に足を運ぶと、人通りは更に少なくなった。
時折、頭上を通過する電車の走行音がガラガラと鳴り響くALBi前には、南海高速バスの表示を掲げたポールがきちんと立てられている。
けれども、シャッターが閉め切られた店舗の前にたむろしているのは外国人ばかりで、僕はニューヨークあたりの場末の街角に立っているかのような錯覚に陥った。
今夜、道中を共にして庄内へ向かう客がいるのかどうかも、定かではない。
「夕陽」号を待っているのかな、と僕が見定めた人を、滑り込んでくるホテルの送迎バスが、ひょいっとさらってしまう。

近鉄バスの夜行高速バスに乗車すると、大阪駅からかなり離れた場所であるにも関わらず、大阪駅前停留所に多くの利用客がひしめいていたことを思い浮かべると、南海バスの大阪駅前は、いったいどうなっているのかと思う。


バスを待つ間に、心地良かった酔いが引き潮のように消えていき、その反動なのか、身体が震えるような心細さが胸中に押し寄せて来た。

僕の乗車券は、OCATから乗車のままになっている。
間際に思い立った変更を連絡する術もなく、「夕陽」号の運転手さんは僕が大阪駅前から乗ることなど知るはずもないから、今夜の便に大阪駅前から乗る予約客が他にいなかったら、通過してしまうのではないか、などと言う不安が頭をもたげる。

もちろん路線バスであるから、そのような省略はあり得ないことで、ほぼ定刻に「SOUTHERNCROSS」のロゴをまとった南海バスが「鶴岡/酒田」の行先標示を掲げて姿を現した時には、胸を撫で下ろした。


大阪駅前から乗車したのは数名ほどで、難波の2つのターミナルから乗っていた先客を合わせても10名に満たない。
いささか寂しい旅立ちとなった「夕陽」号は、他の大阪駅発着路線が使う御堂筋と名神高速とは異なり、阪神高速1号環状線から阪神高速13号東大阪線、近畿自動車道、第二京阪道路、阪神高速8号京都線へと、名神高速を使わずに京都へ向かう珍しい行程をたどる。
どのような道を使おうが、目的地まで無事に連れて行ってくれるならば乗客としては申し分がない訳で、無事に「夕陽」号に乗ることが出来た身としては、すっかり安心してしまっている。

13時間の長い車中となるけれど、バスに乗りたくて旅に出て来たのだから、せいぜいくつろいで過ごそうと思う。


残っていた酔いも手伝って、足元から奈落の底に吸い込まれるような睡魔に襲われては、バスの揺れや、窓から差し込む光で、ふっと目を覚ますような車中になった。
それが不快かと言えばそうではなく、何もすることがない無為な時間がゆっくりと過ぎて行くのは、なかなか良いものである。
京都駅八条口から数人の客が衣擦れの音を立てながら乗り込んできたのも、曖昧な記憶でしかない。

宿場町の建物を模したという名神高速草津PAで、消灯前の休憩となる。
バスを降りて、吸い込まれそうなくらいに澄み切った夜空を見上げれば、万難を排して夜行高速バスに乗りに来て良かった、と爽やかな気分になった。
日常生活において、僕らが夜空を見上げることがどれだけあるだろうか。
この清々しい瞬間が味わいたくて、僕は夜行高速バスを選ぶのだと言っても過言ではない。


ぐっすりと眠って、ふっと目を覚ますと、バスは何処かのパーキングエリアで運転交替のために停車していた。
漆黒の闇に包まれた車内には、乗客の寝息だけがかすかに聞こえている。
前方に掲げられたデジタル時計は、午前2時54分を示していた。

スマホの地図機能を使って現在位置を確かめてみると、北陸自動車道の蓮台寺PAであることが判明した。
大阪駅から470km、北陸三県を夢の中で走り過ぎて、新潟県糸魚川市まで来ていたのである。
関西から北陸道を全線走破して新潟まで達したのは、昭和63年9月に登場した大阪-新潟間夜行高速バス「おけさ」号の開業直後に乗車して以来のことだった。
それからの年月に平成の御代がすっぽりと収まってしまうのだから、僕らの国や自分自身の30年間の歩みに思いを馳せると、容赦のない時の移ろいに、しばし呆然となる。


「おけさ」号で新潟に着いた時にも、随分と遠くまで来たものだと感じ入ったものだったが、「夕陽」号の旅は、まだ半ばを過ぎたばかりである。
糸魚川から細長い新潟県を縦断し、北陸道の終点である新潟中央JCTで日本海東北自動車道に乗り入れ、村上市の朝日まほろばICから朝日温海道路に入り、大須戸ICで国道7号線に降りて一路庄内へと向かう長い行程が、まだまだ残されていることが嬉しい。
同じ東北と関西を結ぶ夜行高速バスでも、往路は常磐道から東名、名神と太平洋岸をたどり、復路は日本海側をひたすら北上していることが無性に面白く、1人悦に入る気分である。
この旅で「シーガル」号と「夕陽」号を選んで良かったと思う。

関西と東北を結ぶ夜行高速バスの中で、「夕陽」号が他路線と異なるのは、先駆者が存在したことであろう。
大阪から仙台、山形、いわき、福島に直通列車を走らせたという記録はないけれども、鶴岡・酒田に向けては、日本海縦貫線を走り抜く寝台特急「日本海」や昼行の特急「白鳥」があった。
「日本海」と「白鳥」は、庄内地方だけでなく、新潟県北部や秋田、青森方面の客も乗せていたけれど、時刻表を紐解けば、「日本海」は大阪と酒田の間を10時間30分で結び、「白鳥」は8時間50分で走っていた。


今や「日本海」も「白鳥」も姿を消し、平成3年に開港した庄内空港から運航されていた伊丹空港線も平成21年に廃止されてしまった。
庄内地方と関西の行き来は、羽越本線の特急「いなほ」と上越新幹線を使い東京経由で東海道新幹線に乗り継ぐか、航空機で羽田空港に飛んで伊丹線に乗り換える以外に方法がなく、この土地も東京との結びつきだけが際立っている有様である。

関西と庄内を往来する旅客数はそれだけ少ないのかも知れず、この夜の「夕陽」号のいささか寂しい客数を見れば、先行きが不安にならないでもない。
これまでの交通機関で最も所要時間は長いけれど、「夕陽」号は5年ぶりに甦った日本海縦貫線の系譜を継ぐ貴重な直通交通機関であるから、願わくば末永く走り続けてほしいものだと思う。


「夕陽」号が利用している日本海東北自動車道は、新潟と秋田を結ぶ計画であるが、地方の高速道路の例に漏れず、小刻みな部分開通を繰り返している。

北陸道と接続する新潟中央JCT-新潟亀田ICの間が平成6年に開通したのを皮切りに、

平成9年:庄内あさひIC-酒田IC、新潟亀田IC-新潟空港IC
平成13年:秋田空港IC-河辺JCT、酒田IC-酒田みなとIC
平成14年:新潟空港IC-中条IC、岩城IC-秋田空港IC
平成18年:荒川胎内IC-朝日IC
平成19年:両前寺IC-岩城IC
平成21年:中条IC-荒川胎内IC
平成22年:荒川胎内IC-神林岩船港IC
平成23年:神林岩船港IC-朝日まほろばIC
平成24年:あつみ温泉IC-鶴岡JCT、金浦IC-両前寺IC
平成27年:象潟IC-金浦IC

と、建設過程は遅々として20年以上に及んでいるものの、現時点で新潟と朝日、あつみと酒田、象潟と秋田を結ぶ3区間が開通し、残された区間も平行する国道7号線の高規格バイパス道路として建設が進められている。

完成すれば関西・中京地区から北東北への最短経路になると言う。
ならば、日本海縦貫線復活の第2弾として、距離にして900km近く、13~14時間を要することになるだろうけれども、大阪と秋田を結ぶ夜行高速バスが誕生してもいいじゃないか、などと夢想したくなる。


「おはようございます。長らくの御乗車お疲れ様でした。バスは順調に運行して参りまして、間もなく道の駅あつみに到着致します。ここで10分の休憩を取らせていただきます」

眩しい光にこじ開けられるように目を覚ますと、前方の遮光カーテンが開け放たれて、交替運転手さんのアナウンスが流れた。
時刻は午前6時半になるところで、夜を徹して走り続けた「夕陽」号は、大阪駅から10時間たらずで鶴岡の手前まで達していたのである。


道の駅あつみは日本海の波打ち際に建てられていて、駐車場から眺めると、ごつごつした磯が穏やかな白波に洗われている。
ここは夕陽の名所だそうである。
大阪行きの「夕陽」号上り便に乗れば、愛称そのままの景観が眺められるのだろうか。

その頃合いまでここに滞在してみたい、と思うけれども、僕にそのような贅沢は許されなかった。
7時45分着の庄内観光物産館、7時55分着のエスモールバスターミナル、8時25分着の余目駅前、8時40分着のイオン酒田南店、8時55分着の酒田庄交バスターミナルと、2時間あまりを残すばかりとなった長いバス旅を終えれば、あとは、東京中心主義の鉄道網の恩恵を大いに享受しながら、昼過ぎには東京に帰り着くという筋書きが待っている。


一昨日に東京駅を発ってからの数々の記憶が、旅の終わりを迎える若干の寂しさと共に、脳裏に蘇ってきた。
棺蓋って評価定まる。
色々と気を揉まされたけれども、振り返ってみれば、目的としていた2つの夜行高速バスをきちんと乗り終えることが出来たし、楽しい旅だったと思う。

ただ、心残りがない訳ではない。
夜行高速バスの旅は、都会から地方の鄙びた土地に向かう方が、より味わいが深まることが多い。
今回は、所用に束縛されたからやむを得ないとは言え、東北を拠点にして大阪が目的地のような旅程になった。
いつの日か、大阪-山形線「アルカディア」号や大阪-福島線「ギャラクシー」号に乗りがてら、大阪から東北を往復してみたいものだと思う。

朝日を浴びながら庄内平野をひた走る「夕陽」号の車窓は、すっかり田植えを終えた広大な水田地帯を映し出している。
頂に雪を残した鳥海山が見事だった。


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