ニトリの創業者

 

似鳥さんは

 

幸運の女神(奥さん)の登場で

 

危機を脱した。かに見えた。

 

 

苦手な接客は奥さんに任せ

 

自分は、仕入れや配達に専念することにした。

 

 

この分業がうまくいき

 

店は黒字化を達成。

 

2号店を出することになる。

 

似鳥昭雄27歳

 

 

2号店出店

 

直後

 

1200坪を有する巨大競合店が

 

似鳥の店の近くに出現。

 

売上は急落。

 

またまた大赤字に転落。

 

倒産の危機。

 

銀行も、新規の融資を凍結。

 

 

似鳥は

 

このとき

 

死ぬことばかり考えていた。

 

大きな木で首を吊ろうか

 

ビルの屋上から飛び降りようか

 

青酸カリを手に入れて。。。

 

同じ死ぬのでも

 

痛いのは嫌なので

 

楽に死ねる方法を考えていた。

 

 

そんな

 

どん底の時

 

知り合いの家具のコンサルタントから

 

アメリカ西海岸への

 

家具業界の視察セミナーに誘われた。

 

参加費は40万円

 

”何か きっかけがつかめるかも ”

 

わらにもすがる思いで

 

お金をかき集め

 

参加する。

 

 

このとき

 

視察旅行に参加した

 

家具業界の関係者は40名。

 

 

参加者の中で

 

似鳥昭雄の会社が一番、

 

売り上げが少なかった。

 

 

参加した人々から

 

似鳥は、

 

”ぼくちゃん”と呼ばれていた。

 

 

似鳥は、

 

晩年、

 

このアメリカ視察旅行が

 

人生の転機になったと語っている。

 

 

では、

 

それほど

 

この視察旅行はワンダーだったのか?

 

 

わたしは

 

そうは思わない。

 

 

なぜなら

 

この視察旅行後

 

旅行参加者のなかで

 

一番小さな売上だったニトリに

 

旅行参加者たちは

 

全員

 

抜き去られて行くことになるからだ。

 

 

 

似鳥と、

 

他の参加者たちは

 

なにが違ったのか?

 

 

ほかの参加者たちは、

 

似鳥昭雄より頭が良かった。

 

日本のマーケットも熟知していた。

 

その結果

 

”未来のにおい”を

 

お客様目線で感じることが出来なかった。

 

コンサル目線で物事を見てしまっていた。

 

 

似鳥以外の参加者は、

 

”アメリカの小売りチェーンのスケールの大きさには感動したが

 

 アメリカと日本では文化が全然違うので

 

 アメリカのものを、そのまま持ってきても、日本では売れない。”

 

”日本は和の文化で、畳の部屋で生活も違う。

 

 アメリカ人は、家の中を土足で入ってくる。

 

 そんな文化の違う国の家具をマネても売れない。

 

 そんな風に

 

 上から目線で、とらえてしまっていた。

 

なので、

 

せいぜい

 

”このテーブルのデザインはおしゃれだから、

 

 うちでも仕入れて売ってみよう。”程度の情報吸収で終わってしまっていた。

 

 

一方

 

似鳥昭雄は、どうか。

 

カミナリに打たれたくらいの衝撃を受けていた。

 

まず、

 

アメリカの家具の安さに驚く。

 

日本の家具の三分の一くらいの値段で家具が買える。

 

だから

 

日本だと

 

お客さんは

 

家具は高い買い物なので

 

長いこと考えてから決断し

 

購入する。

 

しかし

 

アメリカでは

 

家具が安いので

 

まるで

 

ファーストフードに行くようにノリで

 

みなさん

 

気軽に家具を買って帰る姿があった。

 

 

この光景を見た瞬間

 

似鳥にカミナリが落ちた。

 

 

”お、値段以上、ニトリ♪ ” のビジネスモデルが生まれた。

 

 

また

 

日本では

 

サイズ色の選択肢が少ないのに

 

アメリカの家具屋は、

 

ドキドキワクワクするくらい豊富な品揃えで

 

売り場には家具だけではなく

 

カーテンなども置かれてあり

 

売り場全体がトータルコーディネイトされていた。

 

売場の照明も、

 

間接照明が使われてムーディーだったりと

 

アメリカでは

 

家具を使う人

 

買う人の視点で

 

しっかりと

 

T(時間)P(場所)O(場面)S(ライフスタイル)が確立されていた

 

 

似鳥は

 

アメリカで

 

圧倒的な安さ

 

高機能

 

トータルコーディネイトの美しさ。を思い知らされる。

 

家具屋は

 

エンターテイメント産業だった♪

 

 

そして

 

”家とは

 

 本来

 

 家具などないほうが美しい。”

 

 モノが多いことが豊かな証拠ではない。”

 

 

極意を体現する。

 

 

似鳥は

 

”日本の家具文化は、確実に変わる。

 

 アメリカのやり方を

 

 100パーセント真似してみよう。

 

 アメリカのやり方のうち

 

 何が受け入れて

 

 何が受け入れられないかなど

 

 やってみなければわからない。

 

 だったら

 

 まずはぜんぶアメリカを飲み込んでみて

 

 ダメなものがあったら

 

 その時

 

 ダメなものだけ

 

 やめればいい。”