西川(兄)です。

 

本日は自己肯定感という事から。

 

最近、さまざまな本で、自己肯定について書かれ始めました。

 

まず、第一に認識しておかないといけないのは、人によって、言葉に持っている意味付けが異なる事です。

なので、コミュニケーションをとるときには、自分の解釈だけで、相手の行為を判断したり、ただ、それだけで不快に思ってはいけません。

 

自分の価値観で考えている意味と、その人が言っている意味が異なる事が多々あるからです。

 

コミュニケーションの意味は相手の受け取り方という側面がありますが、それは結果です。

出来れば、万人がこの事を理解し、相手の言う本質を理解しようと努力することが、より良いコミュニケーションを生むのです。

 

さて、話が脱線しましたが、自己肯定感は、とても大切なものです。なければ、身動きがとれなくなってしまう。

ある程度、自分に自信があったり、自分を肯定できないような人が、誰かを肯定したり、誰かを思いやれるはずがありません。

また、これがないと、鬱まっしぐらです。

 

しかし、一方で、自己肯定感が高すぎると、簡単に言えば、すぐ「不快な気持ち」になります。

 

例えば、

 

・誰かの文章などを見て、ちゃんとコミュニケーションとってもいないのに、自分の印象だけで、この人は自己肯定感が強いだとか、

自分の事を棚にあげて判断します。

 

・事実を見ず、印象や自分の感じ方、自分の立場からだけ、不快な気分があったり、上から目線で、相手の言動を否定したりします。

 

・全体として述べている事を、自分の周辺という狭い世界のみに置き換え、極論に持ち込む場合もあります。

 

・自分とは異なる考えや主張を一切受け容れず、コミュニケーションを拒否したりもします。

 

こういう方は、非常に注意です。 人をどうこう言う前に、自分の自己肯定感が高すぎやしないか、考えた方が良い。

#周囲の人も要注意です。

 

 

人は、自分が選ぶ側だとか、自分が評価する側の立場に立ち続けると、際限なく卑しくなるものです。

世の中を見ていると、先生と呼ばれる人や、女性だけ無料婚活サイトの女性、などは特に注意でしょう。 

 

婚活サイトの女性は、選ぶ側にたっているので、システムが悪く、自己肯定感が知らないうちに高まっている女性が増えると思います。 #一見良さそうでも、無料ほど怖いものはないのですよ。

 

マスコミの記者も、いつしか、自分を見失っている方も多いと思います。批判記事ばかり書いていて、ただのあらさがしが、自分を肯定する事になってしまっている。色んな運動している人も、ただ、うさを晴らしているだけになってはしませんか?

 

 

#前回の記事で、色んな組織を否定しましたが、全てのマスコミ関係者や、全ての弁護士や、全ての教員を否定したわけではありません。 が、事実として、そうなっていますよ。 もう日本は死んでます。

 

 

私たちも、何かをお伝えしている立場だけだと、いつしか、常に批評している自分を見つける時がありまして、そういう時は、

自分を見直す事をします。

 

私たちの尺度に、事の善悪や、正しさはありません。 よく勘違いされるのですが、私たちは、そこまで自分の事が好きではないですし、自己肯定感については、部分的に高くとも、全体としては、高くない状態を保つ努力をしています。

 

それが、否定的な意見も受け容れ、応答する事につながるからです。 

 

皆さん、色々気が付いて頂ければ幸いです。