エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#スピリットの息吹 #深い歓び

2019-05-19 07:39:18 | エリクソンの発達臨床心理

 
#心無い大人たち #回心 #十字架のバカの勝利
 トラウマを抱えた人の典型的パターン    インターメッツォ : 輝く瞳  音楽の力 ザンダーさんの場合   ルターの講義は、毒と薬  ルターは、当今流行のいい......
 

「発達トラウマ障害」Enpedia

 をご参照ください。





 Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から, p.173,最後の第2パラグラフ。6年ぶりの改訳の続きです。今日は,p.175の9行目から。




 もしも,ひとりびとりの生涯にわたって,イキイキと子どものキリストが生きることは,陽気で楽しい歓びを生きることですが,生涯に渡って発達する一本道の途中で日々行う,あの毎日礼拝の中で,繰り返し確実に中心軸となる自分,すなわち,生きている実感が不動にされて自由でい続けることになるのならば,ハッキリさせることがことさら大切なのは,

(訳注:①)過去において,お父さんお母さんたちが,中心軸となる自分が不動にされて自由でい続けることに,どんな塩梅で役立ったのかということですし,

(訳注:➁)いまここで,お父さんお母さんが,子どもの中心軸となる自分が不動にされて復活することに役立つことが,お父さんお母さんが子どもに心響かせることに共に集中することでますます気高くされるあの道を,明らかにすることに集中して自分を空っぽにすることです。

子どもが創造にピッタリ合った不動の善き良心ができるのは,大人たちが毎日礼拝の司祭になる時だけです。毎日礼拝の司祭は,聖書の神様の命が一巡する神の支配に与る心の習慣の中で,我よりも聖書の神様を心底信頼することに,理性的に共に確信を持っているものです。しかし,聖書の神様の命が一巡する神の支配に与る心の習慣は,聖書の神様が創造する道から生まれるやり取りから,繰り返し振り返ることで,初めて,この世に自由自在に打ち勝ち続けることができます。1つのやり取り,それは,人と人の間を聖書の神様の命が一巡して人を不動に自由にしてくれる「光」を運んできてくれますし,聖書の神様の創造にピッタリと一致する,心の習慣と,人生の習慣とを,確立することに役立ちます。あるいは,1つのやり取りは,あの「キリスト」が聖書の神様の命が一巡する場を繰り返し整えてくれることで,心から自由にできるようになります。キリストも,日曜礼拝の犠牲になります。日曜礼拝は,自分と人の目を誤魔化す言い訳をする強情と,ねばならないと思う悪い良心とを代わりばんこでもたらし,お金やモノで子どもの歓心を買ったり,子どもに厳しくしてみたりすることを,代わりばんこにもたらし,居ても立ってもいられず,どこか遠くに飛んでいきたい気持ちと,その気持ちから甘えに陥るカラクリに捕らわれることが,交互に現れます。

 子どものころにしてもらった毎日礼拝で体得した,互いに大切にし合う関係の強さと関係の仕方が試練になるのが,若さならば,ぜひともハッキリさせることが大切な事情とは,世の中で生き残ることができるような,心新たにされた陽気で楽しい歓びを編み出す,生みの苦しみを伴う実験を試す情熱です。それから,大人になって,創造に与る方向に手を貸すようになれば,心から自由になることを通して,ますます共に心響かせて,子ども等を手塩に掛けて育てることになるのが,まさに,聖書の神様の創造に与ることになる点で,未来を手塩に掛けて拵えることになります。

 日々のお勤めで,相手に寄り添って心から自由になる毎日礼拝によって,世にも珍しい素晴らしい光がピカリと照らす道は,同じ夢(その夢が,信仰,確信,審判,空想,あるいは,幻のいずれでも)を共に見ることが,ひとりびとりが相手と一心同体になる役目になる道になります。というのも,どんな夢でも,同じ夢を見れば,試練を経て体得した気高い関わりを始める勇気をやり取りの中で,相手の心に吹き込みむことになります。さもなければ,互いに分かり合えないないまま育つ場の中で,自分から人に関われず,自分からも人からも,生きている実感を奪い去る心の習慣を,子どもの心に吹き込むことになります。生きている実感が奪われる時に,目に見えてくるのは,人生のとある舞台で,ひとりびとりの人間の中の起きてくることは,その歴史的時間の中で,人間の発達に関する見方で主流になっている人達の人生の習慣が危機に瀕していることに深く関係している,ということです。同じ夢を共に見るのか,それとも,思いが自己愛的でそれぞれバラバラなのか,いずれの場合でも,心が一致するかどうかで,市民生活の現実が決まってしまいます。というのも,一心同体になる体験の基盤となる,独立する核となる自分に目覚めた時にだけ,相手に息を合わせることができない心の壁と,忖度ゴマカシとが結びついていると気付くようになります。この忖度とゴマカシは,権力のおこぼれ頂戴につきものですし,すべての全うな人にも,一心同体体験を分かち合う仲間にも,繰り返し脅威になります。その忖度とゴマカシは,スピリットを生きる感激を見失っているのに馴れ合いにもたれ合う悪い習慣によって起こります。気高くされるはずの人にとって,聖書の神様の命が一巡する予定の相手が,「隠れ蓑」になってしまいます。歴史のおいても,人生のおいても,過去に囚われていることが未来の見通しを隠し,光の中にある陽気で楽しい歓びと,内的促しに従って生きる生き方を蔑ろにするやり口を,ハッキリさせることが,心から自由になることがお役に立つことならば,聖書の神様が心響く者に育つ見方がその使命を実現するやり口を詳しく調べるのにも役立つはずです。つまり,聖書の神様の心響かせる人を創造する創造のやり口は,唯一の最高の関わり方を実現します,その唯一の最高の関わり方とは,聖書の神様からの新しい約束である,互いに大切にし合う関わり方の中で聖書の神様の命が一巡する関係を繰り返すと,互いに大切にし合う2人が心底からの落ち着きと自由を得て,心底から独立する独立心が繰り返し得られる,ということですし,逆も真なりで,独立心を繰り返し確かめると,聖書の神様の命が一巡する関係を繰り返すことになります,ということですからね。でも,これって,この聖書の神様の命を頂く,陽気で楽しい深い歓びの物語では,遍く,山川草木悉有仏性を認める新しい約束,すなわち,全うになる生き方をプレゼントし合う,ってことですからね。





陽気で楽しい歓びを生きると,宗教の境目を超越するスピリットが,おのずから息づきます。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #私が生きる 人だけ #人が... | トップ | #私が生きる #腑に落ちるを... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿