歴史 
「阿波国の秘密考」

 (最新見直し2009.2.5日) 



 (れんだいこのショートメッセージ)
 「阿波国の秘密」は興味深い。「日ユ同祖論」から注目されているが、れんだいこは逆に「日ユ同祖論」汚染されぬ限りでの「阿波国の秘密」を探索しようと思っている。ただまだ緒についたばかりなので、とりあえず参考資料を蒐集寄せておくことにする。
勝子

 2003.9.12日、2007.1.10日再編集 れんだいこ拝


【「日猶同祖論」と四国の関わり】「失われたアーク」
 「邪馬台国四国山上説」に微妙な影を落としているのが「日猶同祖論」である。「日猶同祖論」とは概要「古代ユダヤの流浪の民が日本に渡来してきており、これが皇室の祖先となっている」とする説であるが、酒井勝軍がこれを唱え、宇野正美が継承した。曰く、遠い昔古代ユダヤ小王国が徳島にあり、剣山上に今も「モーゼのアーク(契約の聖櫃)」(アークは、ハリソンフォードの映画「レイダース 失われたアーク」で取り上げられている)が秘せられている。天皇家の菊花紋と聖地のヘロデ門にある菊模様が同じであり、東祖谷村にはキリストと読めないこともない「栗枝渡神社」がある云々。

 そもそもアークとは一体何か。なぜアークが四国にあるのか、これを見ておくことにする。旧約聖書によると、アークとは元々、モーゼが出エジプトの際にシナイ山で神から授かった十戒の石板を納めた箱のことを云う(「出エジプト記」第十九~四十章)。

 ヘブライ(イスラエル)王国第3代目のソロモン王は、ツロ(テュロス)の王ヒラムの協力を得て、エルサレムに壮麗な神殿を建ててアークを安置した。その神殿建設には黄金、青銅、レバノン杉など高価な装飾や建材が惜しげもなく用いられた。ヒラムは偉大な航海民族・フェニキア人の王の一人だった。またソロモン自身もタルシシ船といわれるフェニキア人の船団のオーナーだった。ヒラムの船団とソロモンのタルシシ船団は、協力して紅海、地中海、そしてさらに遠い海の彼方へと交易に向かい、イスラエルに富をもたらしていたのだ。それが世に言う「ソロモンの栄華」である(旧約聖書の「列王紀上」第五~十章)。

 ソロモンの死後内乱が起きて、その王国は北朝イスラエルと南朝ユダに分裂する。イスラエルは前721年アッシリアに滅ぼされ、ユダは前587年新バビロニア王ネブカデネザルに滅ぼされた。ユダ滅亡の際、バビロニア兵が首都エルサレムに乱入して、神殿も王宮も焼き払う。「列王紀下」25章には、財宝をすべて持ち去ったとある。

 だがアークに関する記述はない。神の栄光の象徴たるアークも、バビロニア人から見れば石板を入れたただの箱である。常識的には、アークはその時壊されたはずだ。しかし、信仰者とすれば認めたくはない。イスラエル人から見れば神の栄光の象徴たるアークも、バビロニア人から見れば、石板を入れたただの箱に過ぎない。彼らの関心はただその箱を飾る黄金にのみ向けられたはずであるとして、失われたアーク探索の試みが、史上幾度となく繰り返されることになった。ルーカス、スピルバーグ監督の映画「レイダース 失われたアーク」の国際的ヒットにはそのような歴史的背景がある。

 ところで、このソロモン王が実は死んではいなかったという説がある。3000年近く前、故国を脱出したユダヤのソロモン王家の一族は、なんと日本にやってきた。7000人というユダヤ人達一行は、四国の室戸岬に上陸して剣山に移り住んだ。以来この山頂において、14代800余年にも及ぶ生活をはじめたというのである。その集落が「倭」であり「和」であった。これこそが「邪馬台国」だという。

 ある時王達はこの和を出ることになる。奈良にたどり着いた一族はそこで国を造る。もっと大きな和、つまり「大和」である。だから天皇家の祖先はユダヤ人だということになる。一方、四国の和は「阿波」と変化する。淡路島はこの「阿波への路」からきている。そしてみんなを、奈良の大和へ連れて行ったリーダーこそが聖徳太子だというのだ。

 謎の多い「カゴメの歌」はソロモンの秘宝を歌ったものだともいう。剣山の頂上には宝蔵石、鶴石、亀石という3つの大巨岩があるが、歌詞の鶴と亀はこの石を指している。夜明けの晩とは、月と太陽がともに天にあろうとする時期をさし、伊勢神宮のシンボルに符合する。また、カゴメは籠目、籠目紋といえば、つまりソロモンの星と同じ六芒星を意味する。宝蔵石こそが財宝のありかを指す岩ということになる。

【「アークは四国にあり説」】

 最初にアークが剣山に隠されていると言い出したのは、神奈川県出身の元小学校校長・高根正教という人物である。高根は、「新約聖書」と「黙示録」、さらに「古事記」を比較研究して剣山に「契約の櫃」が隠されているという結論に達したという。高根は戦後の1952年、「四国剣山千古の謎-世界平和の鍵ここにあり」という小冊子を上宰している。また、その遺稿が御子息の高根三教氏により、「ソロモンの秘宝」(大陸書房、1979年)、「アレキサンダー大王は日本に来た」(システムレイアウト、1990年)という二冊の本にリライトされており、そこから高根の考えの道筋をたどることができる。

 それによると、「黙示録」第四章にある神の栄光を示す四つの生き物の記述(獅子、牛、人、鷲)と、「古事記の国産み神話」に、「四国は、面四つあり」とする記述が対応するものと考え、神の栄光の象徴たる「契約の櫃」が四国の剣山に隠されているということになり、「四国」とは「死国」であり、黄泉国であったとする。「アレキサンダー大王は日本に来た」によると、西洋史で早逝したとされるアレキサンダー大王(前326年没)は、実は自らの死を偽装して日本に渡来して、第10代崇神天皇となった。その後、アレキサンダーは田島守をエルサレムに派遣して「契約の櫃」をこっそり日本へと運ばせ、四国剣山に隠したのだという。田島守(田道間守)に関して万葉集に大伴家持の「橘の歌一首」がある。田道間守は、常世国から「トキジクカグノコノミ」を持ち帰ったと歌われている。

 また、剣山の麓、徳島県祖谷地方に伝わる次の民謡は、「契約の櫃」の所在を示すものだという。

  九里きて、九里行って、九里戻る。
  朝日輝き、夕日が照らす。
  ない椿の根に照らす。
  祖谷の谷から何がきた。
  恵比寿大黒、積みや降ろした。
  伊勢の御宝、積みや降ろした。
  三つの宝は、庭にある。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  先なる車に、何積んだ。
  恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  中なる車に、何積んだ。
  伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  後なる車に、何積んだ。
  諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。
  三つの宝をおし合わせ、こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。

 高根の説はあまりにも抽象的、神秘主義的であり、文脈を追うことさえ難しい。また、その発想には木村鷹太郎の新史学の影響が強く読み取れる。

 
さて、大杉氏は「天皇家の大秘密政策」において、大秘密政策の理由について、意見の修正を行っている。大杉氏は述べる。「“天皇家の出自は四国の山上であるという噂が広まると、民衆に嘲笑されて大和朝廷を維持することができなくなるので隠した”というのは、天皇家の出自を隠した理由として弱いということは、私自身も感じていた。しかし、私としては当初、それ以上のことは脳裏に浮かばなかったのである」。

 ところが、大杉氏は、ユダヤ問題研究家として名高い宇野正美氏と邂逅し、剣山に登ってから新しい知見を得る。四国剣山の秘密にたどり着く。その秘密とは、単なる「日猶同祖論」ではない。概要「現在の世界を陰で支配しているといわれるユダヤ人は、実は本物のユダヤ人ではない。その決定的な証拠が、日本の、しかも四国の剣山に隠されている。その証拠が『契約の箱』であり、大秘密政策は『契約の箱』を隠し通すためのものであった。空海が四国八十八箇所を定めたのも、聖域に近づけないための『結界』にせんが為であり、この大秘密政策により四国は死国にされた、四国は黄泉国にされた」と主張するところとなった。