終戦から73年 平成最後の戦没者追悼式

 

終戦から73年を迎えたきょう、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府

主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。

平成最後となる式典には、全国から遺族の代表など6500人余りが参列

しました。

天皇皇后両陛下が菊の花で飾られた式壇に着かれたあと、安倍総理

大臣が「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、

この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となるさまざまな課題

に真摯(しんし)に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する

ことに不断の努力を重ねてまいります」と式辞を述べました。

そして、参列者全員で分間の黙とうをささげました。

続いて天皇陛下が「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多く

の人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。戦後の長きに

わたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、

今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、

戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和

とわが国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。

来年月の天皇陛下の退位を前に両陛下が追悼式に出席されるのは

ことしが最後となります。

このあと遺族を代表して昭和19月に北マリアナ諸島のテニアン島で

父親を亡くした宮城県石巻市の鈴木喜美男さん(75)が「遺品となった戦地

からの便りは東日本大震災により流失してしまいましたが、父の生きた証し

を伝えていくことは、遺族としての役割と考えております。再び悲惨な戦禍

を繰り返すことなく、世界の平和、命の大切さをしっかりと後世に受け継いで

いくため、たゆまぬ努力を続けることをお誓い申し上げます」と述べました。

式典ではこのあと、参列者が式壇に菊の花を手向けて戦争で亡くなった

およそ310万人の霊を慰めました。

終戦から73年を迎えて遺族の高齢化が進み、参列した遺族の78%は、

70歳以上となり、参列した戦没者の妻も13人にとどまりました。

そのひとりで、最年長の参列者でもある東京 練馬区に住む102歳の芹ヶ野

春海さんは昭和20年月に沖縄本島で、結婚してまもない夫の博さん(当時31

を亡くしました。

芹ヶ野さんは「戦争は絶対やってはだめだ。自分もとても悲しい思いをしたし、

みんな困っていた。人生でいちばん嫌な記憶です」と涙を流しながら話して

いました。

また、戦争の記憶を受け継いでいこうと、18歳未満の若い世代合わせて

121人が式典に参列しました。

このうち香川県丸亀市の高校年生、原淳一郎さん(16)は、昭和20年に

曽祖父の前田馨さん(当時29)と田中茂さん(当時33)の人がフィリピンの

ルソン島で戦死しています。

原さんは「これまで祖父などからひいおじいちゃんが戦死したという話を

聞いたことはあったが、聞くだけでなく、もらった資料を読んで戦死したこと

が本当にあったことなんだと現実味をおびて感じました。二度と戦争が

起きないためには自分に何ができるかを考えていきたいです」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180815/k10011577461000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_076

 

1+3+2+5=11

7+3+3+1=14

6+5=11

1+4=5

14+11+5=30

1+9+8+7+5=30

60(3 3)(11×3)

3+1=4

7+3+7+8+7+1+3=36

4+36=40

1+2+2+6+3+1=15

1+8+1+2+1=13

1+1+6+2+2+9+3+3+2=29

15+13+29=57

6+4+5+7=22(11×2)

 

東日本大震災
2011/3/11 14:46:18

2+1+1+3+1+1=9

1+4+4+6+1+8=24

9+24=33(11×3)

 

天皇陛下 戦争の歴史と向き合い平和願う

天皇陛下は一貫して先の大戦の歴史と向き合い、皇后さまとともに

国内外で戦没者の慰霊などにあたられてきました。

国内外で戦没者を慰霊

戦後50年を迎えた平成年には「慰霊の旅」に出かけ、まず、被爆地の長崎
と広島で原爆による犠牲者の霊を慰められました。続いて、住民を巻き込んで
激しい地上戦が行われた沖縄を訪れ、沖縄戦最後の激戦地、糸満市で
戦没者の墓苑に拝礼されました。

この前年の平成年には小笠原諸島の硫黄島を訪れ、飢えや渇きに苦しんだ
戦死者を思い、慰霊碑に水をかけて白菊を供えられました。

戦後60年にあたっては、太平洋の激戦地サイパンを訪れ、多くの日本人が
アメリカ軍への投降を拒んで身を投げた「バンザイ・クリフ」などで黙とうを
ささげられました。

両陛下の外国訪問は、通常、相手国からの招待を受け国際親善のため
行われますが、戦没者の慰霊を目的としたこの訪問は、天皇陛下の強い
希望で実現した前例のないものでした。

また、戦後70年にあたっては、前の年に再び、沖縄と長崎、広島を回ったの
に続いて、念願だったパラオへの訪問を果たし、激戦地ペリリュー島で
犠牲者の霊を慰められました。

両陛下は、外国を親善訪問する際にも戦没者の慰霊に臨んでいて、おととし、
フィリピンを訪れた際には、日本政府が建てた慰霊碑などを訪れ、犠牲者を
追悼されています。

そして、来年春の天皇陛下の退位を前に、ことし月には、11回目となる沖縄
への訪問を果たし、これまで同様、最初に戦没者の慰霊に臨まれました。

平和への思い

昭和天皇の長男で皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続く中で子ども
の時期を過ごし、11歳で終戦を迎えて疎開先から戻られると、東京の街は
焼け野原でした。

天皇陛下は、即位10年に際しての記者会見で当時を振り返り、「私の幼い日の
記憶は、歳の時、昭和12年に始まります。この年に廬溝橋事件が起こり、
戦争は昭和20年の月まで続きました。
したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました」と述べられています。

昭和50年には皇太子として国際海洋博覧会の開会式に出席するため、初めて
沖縄を訪問されました。

戦後30年を経ても県民の間に皇室に対する複雑な感情が残る中、女学生たち
の慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられた際には、訪問に反対する過激派の
メンバーに火炎瓶を投げつけられます。

しかし、その後も予定を変えることなく沖縄戦の遺族との面会を果たし、これ
以来、天皇陛下は折に触れて沖縄を訪れ、戦争の歴史と向き合われました。

昭和56年の記者会見で天皇陛下は、日本では記憶しなければならない4つの
日があるとして、終戦の日広島、長崎の原爆の日、それに沖縄戦で旧日本軍
の組織的な戦闘が終わったとされる23日の「慰霊の日」を挙げられます。

そして、「この日には黙とうを捧げて、平和のありがたさというものをかみしめ、
また、平和を守って行きたいものと思っています」と述べられました。

天皇陛下は平成年には歴代の天皇で初めて中国を訪問し、国家主席主催の
晩さん会で「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期が
ありました。
これは私の深く悲しみとするところであります」と先の大戦について触れられました。

そのうえで、「戦争が終わった時、わが国民は、このような戦争を再び繰り返して
はならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して
、国の再建に取り組みました」と述べられました。

戦後50年を迎えた平成7年、天皇陛下は皇后さまとともに「慰霊の旅」に出かけ、
長崎や広島、沖縄などを訪ねて戦没者を追悼されました。

この年の記者会見では「希望に満ちた人生に乗り出そうとしていた若い人々
が戦争により、また、厳しい環境の中で病気により亡くなったことを深く哀惜
の念に感じます。今日の日本がこのような犠牲の上に築かれたことを心に
銘じ、これからの道を進みたいものと思います」と述べられました。

天皇陛下は即位以来、毎年15日の終戦の日に全国戦没者追悼式に出席
し、戦争が再び繰り返されないことを願うおことばを述べられてきました。

平成18年の記者会見では、戦後生まれの人が年々多くなってくる中で、戦没者
を追悼することは世界や日本の過去の歴史を顧みる一つの機会となるとして、
「過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう、戦争や戦没者のことが、
戦争を直接知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています」
と話されました。

元側近の佐藤さん「平和への思い感じた」

前の侍従次長で、長年、側近として天皇皇后両陛下を支えた佐藤正宏さんは、
天皇陛下のこれまでの戦没者慰霊の歩みについて、「最も多感なご幼少の時期
に戦争を体験し、悲惨な戦争を繰り返してはいけないと強く実感され、そのことを
後世に伝えるべく戦没者を慰霊する旅を続けてこられたのだと思います」と話しました。

このうち、戦後60年を迎えた平成17年の佐藤さんも同行したサイパンへの慰霊
の旅について、「遠く日本を離れて海外の地で命を落とした多くの人々に対して、
観念的にではなく、現地に行ってその場で慰霊をされたいという両陛下の思いに、
多くの人々が感銘を受けた」と振り返りました。

そして、天皇陛下が15日の戦没者追悼式でも、戦後70年の平成27年から結びの
一文に加えた「深い反省」という言葉を盛り込んで、おことばを述べられたことに
ついて、「戦後、歳月がたつにつれてますます戦争を知る人が少なくなります。
天皇陛下は戦争の体験者として、悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない、
平和への思いを風化させてはならないという強い思いを込めて述べられたのだと
感じています」と話しました。

そのうえで両陛下の追悼式への出席が最後となったことについて、「大きな節目
にあたり、今一度、天皇陛下のおことばを思い起こし、平和への思いを今後とも
風化させないように努めていかなければならないと感じています」と述べました。

6+6+7+3+1+1=24

1+1+1+3+1+2+2+8=19

5+3=8

5+6+4+6+2+3=26

4+7=11

24+19+8+26+11=88・・・8+8=16・・・1+6=7

8+1+5+1+8=23

6+1+7+1+5+7+2+7=36

23+36=59・・・5+9=14(7 7)

 

(Wikipediaより)

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)

1937(昭和12年)77北京北平)西南方向の盧溝橋で起きた

日本軍と中国国民革命軍二十九軍との衝突事件である。

中国では一般的に七七事変と呼ばれる。

この事件後に幾つかの和平交渉が行われていた(後述)が、日中戦争

支那事変)の発端となったとされる。

(7/7)午後10時40分ごろ、仮設敵が軽機関銃の空砲を発射したところ、

中国軍が第8中隊の背後から数発散発的に実弾を発射した。

 

1+9+3+7=20&14(7 7)

2+1+4=7

2+9=11

1+4+8=13

7+13=20(1 1)

 

沖縄慰霊の日  23

広島原爆の日 日 (8:15)

長崎原爆の日  日 (11:02)

終戦記念日     815

6+2+3=11

8+6=14

8+9=17

8+1+5=14

11+14+17+14=56・・・5+6=11

 

1945/・・・1+9+4+5=19

19×4+56=76+56=132・・・1+3+2=6

 

 

 

天皇陛下、最後の追悼式で新たな1文 平和への強い願い

島康彦 

2018年8月15日12時28分

写真・図版

全国戦没者追悼式に出席した天皇、皇后両陛下=2018年月15日

午後0時4分、東京都千代田区、嶋田達也撮影

 

戦後73年の終戦の日を迎えた15日。日本武道館東京都千代田区)では

政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、今年も天皇、皇后両陛下が臨席

しました。両陛下を長く取材してきた記者が、天皇陛下の平和への思いを

ひもときます。

「長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」

 退位を来年月末に控え、天皇として迎えた最後の終戦の日。

「おことば」では「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」の新しい

表現が盛り込まれた。戦没者を悼み、平和を願い続けた陛下の思いの表れと

言えるだろう。

 天皇陛下にとって月は「お慎み」の季節だ。皇太子時代の会見で言及した

「どうしても記憶しなければならない四つの日」のうち、広島原爆日)、

長崎(日)、そして終戦(15日)の三つがあり、両陛下はこれらの日に極力

外出を控え、欠かさず黙禱(もくとう)をささげてきた。

 1988年の15日。昭和天皇は体調が悪化するなか、静養先の那須から

ヘリで帰京し、追悼式に出席した。「今もなお、胸がいたみます」。戦争の当事者

としての心境をおことばで明かし、これが逝去前最後の公式行事となった。

 それから、ちょうど0年になる。父の後を継ぎ、追悼式に出席した天皇陛下は

「今もなお、胸がいたみます」の一節を「深い悲しみを新たにいたします」に変え、

戦争の記憶を継承する大切さを訴えてきた。「象徴」として重きを置いてきた

戦没者慰霊は、次世代の皇室に受け継がれる。(島康彦

戦争と平和をめぐる天皇陛下の…

残り:939文字/全文:1554文字

https://www.asahi.com/articles/ASL8G5RLDL8GUTIL02N.html

 

7+3+1+5=16

4+8+6+9+1+5=33(11×3)
1+9+8+8+8+1+5=40

1+6+3+3+4+3=20(1 1)

9+3+9=21&1+5+5+4=15

21+15=36(6 6 6)×2

 

広島原爆投下1945// (8:15)

1+9+4+5+8+6+8+1+5=47・・・4+7=11

 

 

戦争と平和をめぐる天皇陛下のおことば

194915

「あの惨劇に二度と人類を陥れないよう、私たちは平和の道に

向かって進まねばならんと思う」

 

1+9+4+9+1+5=29・・・2+9=11

 

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)(平成28年88日)

 

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことばのビデオを視聴することができます。

11分02秒)

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

私も80を越え,

2度の外科手術を受け,

既に80を越え,

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,

天皇の終焉に当たっては,重い(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって

続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

 

(1+1 2)(11×2)

7+2+3=12

8+2+8=18

2+8+2+1=13

1+2+1+8+1+3=16(8 8)

 

8+3=11

 

 

 

 

天皇陛下

S年12月23日 生まれ・・・8&1+2+2+3=(8 8)

S20年 終戦  (11歳)・・・(2 1+1)(2 2)(11×2)

 

(Wikipediaより)

明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 - )

日本の第125天皇(在位: 1989年(昭和64年)17 - )である。

現時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇(きんじょう

てんのう)、または敬称をつけて天皇陛下(てんのうへいか)と

呼ばれることが多い。

誕生 1933年(昭和8年)12月23日 午前6時39分(84歳)

2017年12月1日、天皇の生前退位の日程が2019年4月30日に決定した

と発表された。同8日、政府は同日付での退位を閣議決定した。

 

1+2+5=8

1+9+8+9=27&1+7=8

27+8=35・・・3+5=8

2+1+7+1+2+1=14&2+1+9+4+3=19

14+19=33(11×3)

 

2019年4月30日退位予定(85歳)

2019ー1989=30年(在位)

1/7~4/30 =24+28+31+30=113

3+1+1+3=8

 

 

 

 

長崎平和祈念式典に寄せる国連事務総長演説(長崎、2018年8月9日)

プレスリリース 18-047-J 2018年08月09日

本日、この平和式典において、ご参列の皆様とともに、194589日に、

ここ長崎で原子爆弾の攻撃で亡くなられたすべての方々の御霊に謹んで

哀悼の意を捧げられることを光栄に思います。

 

このような背景の下、今年5月に私はグローバルな軍縮イニシアティブ

を発表しました。

国際連合事務総長

アントニオ・グテーレス

 

国際連合広報センター | United Nations Information Centre
150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-70 国連大学本部ビル8

http://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/sg/29600/

 

長崎で原子爆弾

1+9+4+5+8+9=36

11:02・・・1+1+2=4(2  2)(11×2)

36+4=40(2 2)(11×2)

 

1+5+1=7&5+5+3+7=20(1 1)

7+2+8=17・・・1+7=8

 

アントニオ・グテーレス国連事務総長 軍縮アジェンダ発表に際する

ジュネーブ大学における演説 (ジュネーブ、2018年5月24日)

http://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/sg/29151/

 

2+1+8=11&5+2+4=11

22(11×2)

 

https://ameblo.jp/kissy-seed/entry-12396094396.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----kissy-seed_12396094396

 

 

Q - The Plan To Save The World (Subtitles)

https://www.youtube.com/watch?v=3vw9N96E-aQ

 

字幕を日本語に見てくださいm(__)m

 

2018/06/30 に公開

【 超お薦め動画 日本語字幕付 】 Qアノン(匿名Q)が、イルミナティ

戦争屋による世界統一支配から99%の人々を救う計画を説明しているわ

トランプ大統領就任の意味も含め、世界情勢の裏側がとても解りやすいので

拡散願います

 

 

 

ガーター勲章(ガーター騎士団員): 1998年5月26日受勲

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37008495

 

 

 

 

   (;^_^A