習いごとしてたひとなら経験あると思う。
練習して調子よくて、気分よくレッスンに出かけたら、
さんざん叱られた、もしくは、
「きょうはいったいどうしたの」って心配された経験。
逆に、きょうレッスン行きたくないなっていうくらい、
練習しなかったのに、
「うん、わるくない」とアッサリ合格した経験。

6歳から15歳までのあいだ、
ほとんど一度も休まず毎週火曜日にピアノのレッスンに通ってて、
「練習って・・・」と不思議に思うことが何度もあった。
そして30歳にもなって、そんなことスッカリ忘れたころに、
「それは当たり前ですよ」って話を、あるひとに伺った。
自分がじっさい体験したことを、矛盾なく説明する話と感じました。
一般常識では、自分の実体験は説明不可能ということも感じました。

「練習ってダメなんですよ」。
東洋の伝統・日本の伝統には、

ドリル練習というのは基本的にないんだそう。

本番と練習って分けないんだって。
私は伝統的ではない教育を受けたから。
世界中の、どこの伝統でもない教育を受けて、
ドリル練習はよいもの、ドリル練習は必須で、

練習しないとできるようにならないという思考を身につけた。
漢字の書き取りなんか、その典型で。
子供のころに、同じ字をたくさんノートに書きためたことを思い出しました。
文字のことはどうでもよく、ただノートをうめることが目的。
どうだ、こんなにたくさんページをうめたぞ、という充実感、
そして周囲も「わあすごい」って驚いたりほめてくれたり。
効率のよい大量生産の方法を思いつき、
「へん」だけ先に10も100も書いてマスを埋め、
残りの部分をあとで書き込む。
おぼえてる字もおぼえてない字も関係なく。
周りの子たちもやってましたよ。
文字をたんなる物扱い、粗末に扱わせて、
言葉というものの持つ大切な意味を考えさせない。わからなくさせる。
そんな教育を知らず知らず受けていた。

学習にせよ運動にせよ何にせよ、
ドリル練習ってのは基本的にダサい。

ダサくならなきゃいいんだけど、なりがちだよね。