公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 日本の一斉授業は本当にこのままでいいのか | 「京大」を7回受け、英語8割の英検1級講師「京大セブン」が添削したら、10年連続「京大」合格(うち4名は医学部医学科)。

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公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 日本の一斉授業は本当にこのままでいいのか

 
 
 コロナ禍をきっかけに、私たちの生活や仕事などいろいろな面で見直しが行われている。この機会に、小中学校の授業のあり方も見直す必要があると思う。なぜなら、日本でずっと行われてきた授業スタイルの“限界”が明らかになっているからだ。

悲惨さを感じたある授業風景

 学力格差が大きい子たちに一斉授業を行うことは無理なのだ。無理というより、私は子どもの人権を無視した非人道的行為だとさえ思う。それを強く感じたのは、以前、公立中学で中3の数学の授業を参観したときだ。

 内容は「二次方程式の解き方」で、生徒たちがそれについて、アクティブラーニングよろしく、積極的に発言して話し合いながら、解法を見つけていくという授業だった。だが、見ていて悲惨で、先生も生徒たちもかわいそうに思った。そして、その悲惨さはとくにその先生の能力が低いことによるものではなく、日本の授業スタイルが持っている本質的な問題点によるものだと感じた。

 40人近い生徒がいたが、塾で学んで完璧に理解している子たちがいる一方、わり算やかけ算ができない子もいた。わり算やかけ算はできるけど、因数分解はできないという子もいた。また、因数分解はできるけど平方根がわからないという子もいた。こういったことは、授業の指導案の個別カルテに記載されていたので、参観者にはわかったのだ。

 授業についていけない生徒たちは、わからないまま座っているだけだった。一部の子たちは積極的に発言したりして、一見盛り上がっているように見えたが、その話し合いに本当についていけている子は3分の1もいなかったと思う。学力格差が絶大な中での、こういった一斉授業の「話し合い」は、生徒にとっても先生にとっても不幸だと感じざるをえなかった。

 昨今こういった「話し合い」の授業が、「アクティブラーニング」という美名の下に、さらに増えてきているという実態もある。百歩譲って一斉授業を受け入れたとしても、先生がわかりやすく教えてくれるならまだしもだが、こういう子どもたち同士の話し合いを中心にした授業だと、余分な要素が入りすぎてゴチャゴチャするので、何が何だかわからないまま座っている子たちが増えるだけなのだ。

 

  日本は落ちこぼれを救うことばかりに時間とエネルギーを割いてきた。それは、浮きこぼれを無視した授業をしているということだ。そうしている間に、韓国や中国などに追い越されてしまった。

 全くバカげている。いいかげんに目を覚まさないと、日本全体が沈没してしまう。

 

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