昨日書いたこちら↓のブログの続きです。これで最後。
その仕事で食べていける?という心配 その①
その仕事で食べていける?という心配 その② 応援の仕方を聞いてみた
HIROMI📪👧👧バンコク多動な社長です@hiromi_takikawaちょっと意見を聞かせてください。 子供や本当に大事な身近な人が夢や目標を持った時の話。 それ、実現かなーり難しいよね。 それで食べていくのは厳しいよね、、、 と人生経験豊富な大人は思っちゃったりするじゃないですか。 こういう時ってどう応援するのが良いと思いますか?
2018年12月10日 09:07
結果として、本当にこの質問に対する皆さんの答えが秀逸で。
聞かせてもらってすごく、すんごーーーーく良かった。
まず響いたのが、
”まずはその仕事を実際にしている人の話を直接聞きにいく”
と言う案。これにはハッとしました。
その仕事で食べていないって、私は勝手に判断していた。
そもそも”食べていく”のレベルは人によっても違うし、何を幸せに感じるかなんてまさに個人個人の価値観だったはず。
”まずは肯定して、実現する為の具体的な策を一緒に考える。膝を突き合わせて話す、調べる。”
”フローチャート、ドリームマップなどを使用して考える為のサポートをする。”
これは確かに、夢を実現する道筋と課題をしっかりと意識するのに有効ですね。
冬休みにやりたいな、と思いました。
”やりたい理由の根底や目的、覚悟を確認する。それができたら徹底的に応援する。”
今回自由人娘の目的や覚悟は”今後変わるかもしれない”という前提付きで理解していたつもりでした。
そんな私がこういった言葉を聞いて気づいてきた事は、自分が徹底的に応援する覚悟も必要だ、という事でした。
そこがまだできていなかったんですね。
”夢があるだけ素敵。とにかく全力で応援!”
この意見は子供側の視点でも多かったように思います。
自分がとにかく応援してもらえて良かった、もしくは夢を否定されて傷ついた、という受け手の視線を聞けたのも良かった。私自身は大きな夢が無かったからか、否定される事も全力で応援するよ、と言われた記憶もないので(ただ忘れてるだけの可能性も大)
そうなんです。夢がある事が当たり前じゃ無いと本当に思います。
まずは肯定から、それは心がけたい。
一番痺れたかもしれない言葉がこれでした。タイ住みます芸人のはなずみさんからのコメント。
今の自分はこう言えないからこそこんな質問を投げかけているから。
これとは反対に、
”大人が無責任に言う「夢」って「なかなかできない凄い、みんなが羨むことをしろ!だけど、それで生活もしていけるようにお金も稼げ!」って言う本質的に無理ゲーだと思うから、夢なんて持たなくていいと言ってる”
という新鮮な意見もありました。これも一理ある。
夢が見つからないと気にしている几帳面娘にかけてあげたい言葉だと思いました。
他にもバンコクでフットサルスクールのコーチとして沢山の子供達の指導をしている松山さんの言葉が素敵でした。
”僕は好きな事ならとことん進むべきだと伝えます。
そこの大きな壁は次から次へと立ちはだかり、困難なことも増えてきます。
子どもは僕達大人が知っている世界をこれから肌で感じていくので、どんな時でも一生懸命やるなら応援すると伝えていますよ。
だけど、どんなことでも自分で決めること。
自分ががんばりたいというのなら応援してあげる。
できたことやすごいと思ったことは褒めて、できないときは一緒に乗り越える。
大人としての使命だと思ってます。”
確かに、自分で決めるからこそやる気も出るし、責任感も湧く。
これは大事なポイントだと思いました。
”失敗する経験も財産になるから、自分の意見は1ミリも言わずにただ見守る。”
”犯罪と身の丈に合わない借金以外は応援する”
という意見もありました。
こんな皆さんの意見を読んで思ったのは、食べていけないのが心配なんじゃなくて、苦労をして欲しくない(苦労=不幸)という固定概念が自分の中であるのかも、という事でした。
それから、全く意見を言わないというのは私にとってすんごくハードルが高い。言いたい事が多すぎる
本当に、この質問に答えてもらった皆さんの回答は宝物だなぁ、と途中から感動してきてしまいました。
一人で考えるよりも他の人の視野を知る事ができるってなんて素晴らしい事なんだろう。
こういったやり取りを通してまとまってきた事。
私も具体的に自由人娘の夢の形、実際にやっている方についてもっと知ろうと思います。
本人が会って話を聞いてみたいと言ったらその機会も作ることをまずは伝えよう。
どうやってそれまでの道筋を立てたら良いのか、そのやり方を一緒にやってみよう。
まだ小学6年生なので、そして娘達も会話をしたいと思っている年齢なので、今はまだただ見守る、って言う形の応援はできない。
けれど大前提として応援はしたい、失敗しても大丈夫と本気で言えるようになりたい。
そう言えるまでになる事が私にとっての子離れプロセスなんだろうと思います。
娘達の失敗経験を積めたことを喜べる、良かったねと思えるまでにはかなりの度量と時間が必要かもしれませんが、そこを恐がらずに挑戦しておいで、見守るよ、といえる。そういう親になりたいんだ、という自分のありたい形がはっきりとしました。
そして、こうやってブログに書くことで疑問が自分の中で生まれ、それを多くの人の意見を聞いてはっきりと思考化していく。これが若い時にできていたらすごかっただろうな、と改めて思ったので。
書くこと、言語化する、発信するってプロセスは本当に力があります。
自分が考えている事を文章化していくのはこれから娘達に、そしておせっかいに他のお子さん達にも本当にオススメしたいです。これは今回の副産物としての思考ですね。
ご意見頂いた全ての皆さんに本当に本当に心から感謝します。
これを読んで頂いた皆さん、貴方はどう応援されたいですか?
どう応援しますか?