石破氏、早期解散に反対 「憲法の趣旨に反する」
一般の方からの質問として最も多いものの一つ。
よく「〇〇の権利が憲法にはない」という批評をいただきます。
確かに、日本国憲法はせいぜい103条という短い法規定になっており、そこにすべての内容を規定することは事実上していません。例えば、自由権とは言えども「マスクをしない自由」や「高校生がバイクを乗ることのできる自由」といったものをすべて規定出来ないことは理解できるでしょうか?
さて、そういった憲法ですが、皆さんご存知の「報道の自由」や「プライヴァシー権」といったものですら文言としての規定はありません。
では、これらの権利が憲法上、認められていないのか?いえいえ、一般的には「表現の自由」に含まれる権利として認められています(正確にはプライヴァシー権そのものを正面から認めた判例はない)。どうやって認められると言えるのか?それを考えるのが法解釈であり、まさに憲法学者の仕事でもあります。
そもそも、表現の自由の言う「表現」というのは、内心における精神活動を外部に表示する権利である、と言えます。具体的に言えば、思想、感情、意見、といったものですね?それらは何のために認められるのか?その究極的な形としては、政治的意思決定にかかる情報選択のためなのです。
だからこそ、表現の自由は憲法で最も重要な権利の一つとして規定されています。そして、それは何も個人だけでなく企業、具体的に言えばマスメディアにも認められている権利なのです。
実は憲法学というのは、おおむね、この法解釈が前提となっています。素直に条文を読んで解決するものではありません。少し専門的な言い方をすれば、憲法は判例だけ学べばよい、と言う人もいるくらいですからね(苦笑)
ということで、憲法解釈のお話でした。
あまり一般の方になじみがないため、規定がない(文言がない)=保障されていない、と考えてしまうのは理解できます。民法の場合は、規定だけでなく契約書として規定されているため、その具体的な規定がなければ適用されないと考えることも当然でしょう。
そういう意味では、憲法学というのは他の法律に比べて特殊なものである、というのは理解できるでしょうか?入りやすく出にくい科目である、といわれる所以ですね。
宜しければクリックをお願いしますね。
憲法ランキング
にほんブログ村
解散が首相の「専権事項」とされる根拠の憲法7条に基づく解散にも否定的な見解を示した。引用 時事通信
一般の方からの質問として最も多いものの一つ。
よく「〇〇の権利が憲法にはない」という批評をいただきます。
確かに、日本国憲法はせいぜい103条という短い法規定になっており、そこにすべての内容を規定することは事実上していません。例えば、自由権とは言えども「マスクをしない自由」や「高校生がバイクを乗ることのできる自由」といったものをすべて規定出来ないことは理解できるでしょうか?
さて、そういった憲法ですが、皆さんご存知の「報道の自由」や「プライヴァシー権」といったものですら文言としての規定はありません。
では、これらの権利が憲法上、認められていないのか?いえいえ、一般的には「表現の自由」に含まれる権利として認められています(正確にはプライヴァシー権そのものを正面から認めた判例はない)。どうやって認められると言えるのか?それを考えるのが法解釈であり、まさに憲法学者の仕事でもあります。
そもそも、表現の自由の言う「表現」というのは、内心における精神活動を外部に表示する権利である、と言えます。具体的に言えば、思想、感情、意見、といったものですね?それらは何のために認められるのか?その究極的な形としては、政治的意思決定にかかる情報選択のためなのです。
だからこそ、表現の自由は憲法で最も重要な権利の一つとして規定されています。そして、それは何も個人だけでなく企業、具体的に言えばマスメディアにも認められている権利なのです。
重要判例①『博多駅テレビフィルム提出命令事件(最大決昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁)』つまり、報道の自由というのは言わば「表現の自由の中身を具体化したものの一つである」ということです。法に規定がないのではなく、その中身を解釈すれば当然出てくるであろう権利だということですね?
裁判所は「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない」と判断しています。
実は憲法学というのは、おおむね、この法解釈が前提となっています。素直に条文を読んで解決するものではありません。少し専門的な言い方をすれば、憲法は判例だけ学べばよい、と言う人もいるくらいですからね(苦笑)
ということで、憲法解釈のお話でした。
あまり一般の方になじみがないため、規定がない(文言がない)=保障されていない、と考えてしまうのは理解できます。民法の場合は、規定だけでなく契約書として規定されているため、その具体的な規定がなければ適用されないと考えることも当然でしょう。
そういう意味では、憲法学というのは他の法律に比べて特殊なものである、というのは理解できるでしょうか?入りやすく出にくい科目である、といわれる所以ですね。
宜しければクリックをお願いしますね。
憲法ランキング
にほんブログ村
コメント
コメント一覧 (5)
https://www.youtube.com/watch?v=5aeHEVKLQ70
本ブログの管理人をさせていただいております。よろしくお願いします。
さて、コメントのURLですが、確かに良いお声ではあります。ただ、コメントルールとして記事とあまりにも関係のない宣伝コメントは、基本的にはご遠慮させていただいております。
これは過去において、記事とは関係のないコメントを見て不快に感じられた方がいらっしゃったという事情がありまして。世間話といったものについては、それほど禁止をしている訳ではありませんが、唐突なコメントについてはこれまで一時的な公開停止をしています。
今回については一応、悪意はないとして公開停止はしませんが、そういうルールがあることはご理解いただければと思います。ルールについては記事にて掲載をしていますのでそちらを参照されてください。
わざわざ(なのかな?)お書き下さいましてありがとうございました。
あまりなじみのない一般人には、憲法学は難しいので、馴染み易い憲法になってくれたらいいなぁ。
一寸脱線するかもしれないけれど、いや脱線かな。
言論も報道も表現の自由もこれは個人の自由ですよね?。
個人も特に言えば話し手の権利を規定したものですよね。
聞き手に自由は無い。だからヘイトスピーチの様な言葉を聞かされる人が出てくるのじゃないかと思う。
言論の自由とは話し手の自由(勝手かな?)で聞き手の自由では無い。話し手の自由だけが保障されたらそうなってしまうだろう。
だから保障などせずにお互いに尊重する権利に留めて置く権利にした方が良いと思う。
国や地方には議会が有る。議員の努めは話し合うことだろうけれど、話し合っては居ないと思う。言い合っては居る。
議員はモノ言う口はお持ちだけれど、モノ聞く耳は有るのかな?。
何を見て何を考えてるのか?。
この自由から国民の知る権利が導き出され、さらにそれに奉仕するために取材の自由があり、報道の自由にも繋がっていくというが、今の日本国憲法の解釈だと、浅学ながら理解しております。(間違えていたらすいません)
まあ、この取材の自由や、報道の自由の上にあぐらをかいて、下品で強引な取材や、あまりに恣意的な報道するのはどうかと思っていますが(´ー`)
とはいえ、公共の福祉との兼ね合いを超えて、表現の自由が必要以上に制限される社会なんて、恐ろしくて考えたくも無いです。
話題の「香港国家安全維持法」なんて、もろに表現の自由を制限する代物ですし、ああいう法律の下では、おちおち政治に関する考えを戦わせることも出来なくなっちゃうわけですしね。
色々問題はあるけど、日本て良い国だと思います。
返信が遅れまして申し訳ありません。
すこし専門的な話になりますが、憲法は国家と国民の関係を規定する法ですので、やはり保障と言う言葉を使わざるを得ません。
一方で、私人間の関係においては原則として民事法が適用されますので、こちらは保障というよりも権利義務関係と言うべきでしょうか。ただし、私人間効力という「国家との関係を規律した憲法の規定を民事にまで拡大できるのか?」と言う議論はあります。そういう場合に憲法レベルの保障と言う話になるのか?ということにもなりますね。なお、裁判所は基本的に憲法の規定を私人間に適用すると言うことには否定的です。
いずれにしても、最近の傾向としてあまりにも憲法を出しすぎと言う感がしています。民事的な話でもすぐ憲法と言うことに繋がっていますからね?
まあ、皆さん高校時代に憲法だけは条文を見たことがあると思いますので入りやすいとは思いますから仕方ないのでしょう。ただし、学べば憲法が一番厄介だと気が付くものなのですけど(汗)
コメントする