「ダムによらない治水を極限まで検討する」「それをさらに考える機会を与えられた」とも話したが、具体的な方策に言及はなかった。引用 livedoor
歴史は繰り返す、人の業。
まずは、被害にあわれた方に心からお見舞い申し上げます。
さて、球磨川氾濫について思い出したのは八ッ場ダムの件。民主党政権による八ッ場ダムの建設中止と自民党政権による建設再会、そして治水実験中の豪雨により図らずとも、その効果を実演した結果、議論になったことは記憶に新しい所。
ただ、賛否いずれにしても、一定の効果があったことは事実としてあります。ダムだけでは治水は完璧にはならないものの、それがあることで治水事業全体のコントロールをすることが出来ると言う点で。
ところで、これらの話で大事なことは、賛否ではなく、その理屈に対して現実の結果が生じた場合の責任。ここでいう責任というのは何も法的な責任ではなく「言論を行使したことに対する言論活動の責任」という意味です。
出た結果が、自身の見解と異なる場合なぞよくあります。問題は、そうだった場合、自身の誤りを認めず無視する点。何故か、自身の不利になる過去の言論はすべて黙殺しているのですよね?まあ、黙殺しないと責任論を出されることになるのでしょうが、今はネットもあり過去の言論が浮上されることがママあります。
いずれにしても、人は間違いを犯すもの。
それを認めないことは罪である、と言っておきましょうか?お前ですよ朝日テレビとTBS。ダム建設中止を声高に報道して今は無視ですかそうですか?と辛坊氏が申しておりました(笑)
自由@FreeTweet000引用 ツイッター#グッとラック
2020/07/08 11:08:22
#辛坊治郎
「川辺川ダム建設反対運動は、TBSだのテレ朝だのニュース番組が徹底的にバックアップして『ダム反対!中止!』を徹底して煽った結果中止になった。それを忘れて言うなよ!この局中みんな覚えてる」
TBS… https://t.co/8K3QJbwZ7g
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