前回の記事は、こちら─、
『 これぞ板挟み!誰も間違っていないもかかわらず何かがおかしい?』
思い返せば─、
こういう事例は私の祖母にも当てはまる。
私の母方の祖母は大正9年生まれで、
もう─、
他界して久しいが生前、
神戸に住んでいた祖母は、
年に何回か我が家に泊りがけで訪ねて来るのが、
毎年、恒例の行事で、幼少期の私と妹は、
毎回─、
お祖母ちゃんが来るのを心待ちにしていた。
そんな祖母の大好物は熱々のかす汁。
祖母の若い頃というのは、一体どういう時代で、
どんな生活環境であったのかは、
我々としても─、
もはや具体的に、
想像し得るものではないが、
母曰く─、
お祖母ちゃんにとっての最高の贅沢は、
先にも述べた、具だくさんの熱々のかす汁で、
とにかく─、
熱々でホカホカの、かす汁を息を吹きかけながら、
食べるのが幸せという人だった。
要は─、
そういうものが貴重だった時代で、
そういう生活環境の中で生きて来た人、
ということであろう。
そんなわけで─、
我が家へやって来た時などには、お袋と一緒に、
夕飯の支度なども手伝ってくれたりするわけだが、
私が初め見た時に驚いたのが、
まず─、
ご飯をよそう前に、あらかじめご飯茶碗に、
お湯を注いでおき茶碗を温めておくのだという。
そうしておくと─、
よそったご飯が冷めにくいのだという。
そうやって─、
うちの父に「 冷めないうちにどうぞ 」と、
世話をやいてくれたりするわけだが、
当の父はというと猫舌で、
それが食べられないのである。
もちろん─、
父も、義理のお母さんの、
気遣いであることは分かっているため、
特に何も言わず、
やり過ごしてはいるのものの、
「 あの人に、そんなことはしなくてもいい!」
と母が再三に渡り祖母に忠告しても、
祖母には、それが理解できないのである。
よかれと思ってやっていることが、
相手にとっては、
有難いどころか迷惑でしかないという、
残念な事例だ。
まぁ─、
人間、いかに相手のことをおもんぱかろうとしても、
そこには限界があり、
所詮は─、
自分というフィルターを通してしか、
世界は見渡せないものだ。
その事は常に、
心に留めておきたいものである。
さて─、
私が次世代の子供たちに、
押し付けている無理解とはいかに…!?
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