前回の記事は、こちら─、
『 人生哲学、在るべきか在らざるべきか?』
この手の問題を論じる時に、
避けては通れないのが、
やはり─、
自身の身に降りかかる出来事、命運、
人事を尽くした後に待つべき天命、
そして─、
神などと言った存在だ。
神と言うと─、
子供の頃などにはよく、
「 神様、仏様… 」などと、
神頼みをした経験の一つくらいは、
誰しも、お持ちなのではないかと思われるが、
正直─、
我々は ( 少なくとも私は ) 普段それほど、
神のことなど意識して生きてはいない。
たいていの人間は盆も正月もクリスマスも、
季節の恒例行事としてやり過ごしているのが実状ではないだろうか。
しかし─、
欧米では、創造主としての、
神の存在は、
日本人よりも遥かに、その精神に根付いている、
精神的土台のようなもので、
むしろ─、
日本人の、この何でもありという精神構造こそ、
世界的には奇妙に映っているのではないだろうか。
私が─、
過去に目を通して来た、この手の書籍の多くは、
主にアメリカ人作家による著作が多く ( 一部、インド )、
それだけに─、
その根底にはキリスト教の世界観が、
色濃く存在していたことは否定できない。
前回の記事で紹介した─、
「 神は自分が乗り越えられない試練を、
お与えになることはない 」
といった一文も、ご存知、聖書、
『 コリント人へ第一の手紙 』( 10章13節 ) の有名なくだりで、
我々は、この世での試練を通じて、
成長して行く存在である。
とまぁ─、
端的に言えば、そういう話だ。
その発想自体は我々、日本人の死生観とも、
そう隔たりのあるものではなかろう。
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( 次回へつづく... )
『 やっぱりおかしい!?我らが創造主、神 』