3月30日。
私と妻は、隣県の山奥、比婆山に向かいました。
不要不急の外出は……というような要請があちこちで飛び交っています。
(岡山県では、とくに知事などからそのような発言は出ておりませんが)
世間のそういう空気もありますし、この比婆行きは、奥さんと二人だけ。
移動は車。
人との接触を極力避ける計画……というよりも自宅を出てから高速道路、到着は知る人ぞ知るような山間の神社なので、接触しようがない。
これだと自宅で奥さんと二人で過ごしているのと変わりません。
などがあります。
これらの神々が、この比婆大社の本来の意味を物語っていると思うのです。
すごくわかりやすい、確実なところから申し上げますと……
二つの荒神社はスサノヲとオオヤマツミとなっています。
全国津々浦々の荒神様は、まあ、これはスサノヲを祀っています。
そして荒神様は、牛馬の守護神となっていることがしばしば見受けられますが、この牛馬の守り神は祇園様であったりすることもあります。
荒神様も祇園様も祭神はスサノヲなので、これには矛盾がありません。
しかし、この比婆大社では、牛馬荒神社がオオヤマツミ。
これは、つまりスサノヲとオオヤマツミは同一の神であることを暗示しています。
じつは、私はさるスピリチュアルなセンスを持つかたから、私が氏子総代をしている山村神社の祭神であるオオヤマツミはスサノヲと同一であるというメッセージをいただいたことがあります。
これにはれっきとした根拠もあります。
山村神社はある山の裾にありますが、この山には「祇園」「金刀比羅」が祀られているのです(私の旧宅が建っている山)。
これは、私自身が山の頂上へ向かう道筋の、古い祠で確認しています。
祇園様はスサノヲ。
その山はそのあたりで最も高い山。
その山裾に山村神社があり、オオヤマツミが祭神。
ここでも符合しているわけです。
小椋一葉氏という神社伝承学の研究家の書籍「消された覇王」「女王アマテラス」などの中では、スサノヲとオオヤマツミは同一神という論証が為されています。
スサノヲには、実に多くの異名があるようです。
ということは、一昨年だったか、訪ねた大三島の大山祇神社(日本総鎮守)もまたスサノヲを祀っていることになります。
金蔵神社の金山彦ですが、小椋氏の研究によれば、これは金刀比羅宮の祭神、大物主と同一であり、この正体はスサノヲの子であるオオドシ=ニギハヤヒであると結論づけられています。
大物主は大和の三輪山の祭神でもあります。
神話上、金山彦はイザナミが火の神、カグツチを出産したために苦しんでいるとき吐瀉物から生まれた神とされます。
そして二の宮の速玉男神と三の宮の黄泉事解男神ですが。
この二柱の神は、カグツチ(火の神)の出産で火傷を負って亡くなったイザナミと夫のイザナギが、「離縁」するシーンで登場しています。
イザナギの吐いた唾から化生したのがハヤタマオ、掃きはらったときに化生したのがコトサカオということが日本書紀に触れられています。
ちなみにですが。
オオヤマツミは、イザナミの死の原因となった火の神を、イザナギが三段に切ったときに生まれた神とも言われます。
スサノヲは、死んだ母に合いたいといって啼きいさちる神でした。
つまり。
この比婆大社の境内社に祀られている神々は、すべてイザナミと格別な関係にあり、その死に関わっていた神々。
速玉男は、通常は紀州熊野三山の祭神としては、イザナギとされています。
もちろん、イザナギも夫ですから、イザナミと深い関わりがあります。
もちろんその死にまつわる神話も。
しかし、小椋氏も速玉男をスサノヲと判断しています。
私も比婆大社を再訪し、以前は確認していなかった境内社を見て、ここに祀られている神々は、すべて母なる神、イザナミの死に関わる神々であり、たぶんですが、すべてスサノヲの別名なのではないか、別名ではないにしてもイザナミ・スサノヲの母子神と密接なつながりがある存在だと確信しました。
でないと、母なる神の御霊を鎮めるこの地に、これらが集められている理由がない。
たぶんカグツチもスサノヲ。
だからこそ、スサノヲは亡き母にこだわった。
私がこの比婆大社(熊野神社)のことを思い出し、参拝しようと思ったのは、現在の新型コロナウイルスの蔓延と被害の沈静化を祈願するためです。
黄泉大神(よもつおおかみ)となったイザナミ様をもっとも鎮められるのは、おそらくスサノヲ。
私がノベライゼーションした「ヤオヨロズ」でもそのような表現をとっていたのは、そうした直感があったからです。
今のこの混沌とした世界、日本。
これをやわらげることができるのは、この母なる女神様ではないのか。
参拝中、方々から野鳥の美しいさえずりが聞こえていました。
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