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2019/09/19

こどもの教育を襲う萩生田歴史修正ビジネス

映画「新聞記者」の面白さ

遅ればせながら映画「新聞記者」を鑑賞。劇映画(フィクション)として、大変よくできた作品でした。
やもするともっさりしそうな時間経過の描写を、素晴らしい編集がつなぎました。久しぶりに邦画のカット見て心震えました。エディターさんMVPだ。グッジョブ!
設定にも無理がなかったし、人物造形も丁寧。松坂桃李さんは化けたねえ。作品全体の一から十までまるで緊張感のないNHK東京の駄作朝ドラでひどい芝居を見せられて以来、マツザカトーリはすっかり忌避物件にしていたんですが、良い本と現場に恵まれましたね。もちろん本人の成長も大きいんでしょうけど。ファンになりました。
田中哲司さんは最高でした。政府が作り出す得体の知れないディストピアの象徴として、感情を抑えた演技を続けるんだけれど、その一貫した無感情ぶりが作品世界のトーンを決めるほどの好演となりました。こないだのNHK大阪朝ドラで、わやくちゃな大阪弁吐き散らしながらつまらんボケかましとった時には、茶の間の液晶画面にご飯茶碗投げたろか思いましたが、今回は見事としか言いようがない。良い本と現場に(以下同文)。
このフィクションに、リアル感を出すのに一役買っているのが、加計学園問題で現政権の不正を告発した前川喜平・元文科省事務次官の出演。本人としてスクリーンに顔を出して、日本政治・社会の危機的状況を語ります。作中の虚実ミックスの加減もよく練られていました。このあたりの面白さも、編集の功績ですよ。

前川喜平の危惧

その前川さんが、安倍晋三改造内閣の文科相に選ばれた萩生田光一氏の手腕を問題視しています。
やっぱり萩生田文部科学大臣か。ひどいことになるだろう。彼の議員会館の事務職(ママ)には、教育勅語の大きな掛軸が掛けてあった。(9月10日のTwitterより転載)
教育勅語かよ! 新大臣は、教育勅語の中身を本当に理解した上で事務室に飾っているんでしょうか? 知らせるメディアも、私たち一般国民も、教育勅語の内容を理解していないだろうから、一度みんなで読んでみよう。児童生徒の皆さんは、学校で先生に意味を尋ねよう。70年ちょっと前には、こどもを含めた日本の常識でした。理解した上で考えよう!
教育勅語をまき散らした文部省(現・文科省)は、敗戦後の日本を統治した占領軍政府によって解体されるはずでした。国を誤らせた司法省、内務省がつぶされていくさまを、文部官僚は明日は我が身と見つめていたのです。国のために死ねとする軍国教育を進め、多くの学徒を死地に送った文部省は、その救命が決まると、教科書検定を代表例とするあらゆる方向への権限拡大を図りました。物不足の時代には、教科書に使う紙の管理にまで首を突っ込んだそうです。全ては省のサバイバルのため。ほとぼりが冷めると、戦前のような管理教育を1950年代末ごろから道徳教育回帰として打ち出し、日教組が対策のための分科会を作るなど、現場との対立を深めていきます。最近では大学入試英語の民間試験をゴリ押ししていますね。
これ、萩生田大臣は断固推進を宣言。安倍晋三首相は、以前からイギリスのサッチャー保守党政権がやった、国の事業を市場任せにする路線のまねごとがお好きのようですが、英国の民営化教育の末路については、「イギリス『教育改革』の教訓」(阿部菜穂子著、岩波ブックレット)に詳しいです。大臣には教育勅語以上に愛読願いたいものです。

昭和13年、地獄の甲子園

教育をつかさどるトップがとんでもない人間だと、不幸になるのは言うまでもなくこどもたちです。今日は、教育行政史上最低最悪と呼ぶにふさわしい、戦前の荒木貞夫文部大臣時代の夏の甲子園(全国中等学校優勝野球大会)の惨状を紹介することで、こどもたちを守らない国家とはいかなる代物であるかを考えます。
陸軍軍人の荒木は、皇道派の中心人物でした。「皇道派」は天皇中心の親政による国家運営を是とし、前提としてほとんどの議会政治家や実業家を“君側の奸”と悪者扱い。クーデターである二・二六事件を、前々から青年将校に焚きつけてきた男とも言われています。
文相になると、大学改革と称して帝大にまで軍事教練を持ち込み学徒出陣を敢行した、馬鹿の数と種類には事欠かない戦中の日本陸軍中でも最右翼の愚人でした。
こんな男が頂点に立った時代の甲子園球児たちがいかに不幸であったのかが、開会式の荒木の祝辞からもわかります。1938年8月14日付の東京朝日新聞夕刊より「文相祝辞」を引用します。
本日茲(ここ)に朝日新聞社主催第24回全国中等学校優勝野球大会の開催せらるゝに当り祝意を表すると共に一言所懐を述ぶる機会を得ましたことは私の欣幸とするところであります。最近我国における体育運動競技の普及発達真にめざましきものゝありますことは洵(まこと)に喜ぶべき現象であります。この機運この傾向を善導助長し以て(もって)国民体位の高揚を計り日本精神の作興に資するは現下時局の重大性に鑑み真に肝要なることであります。この秋に当り多年斯界の向上発展と運動競技精神の涵養(かんよう)とに努力し来つた朝日新聞社が本大会を開催せられますことは洵に時宜を得たる好挙といふべきであります。各地を代表してこの光輝ある大会に出場の光栄を担はれた選手諸君はよろしく学生たるの本文に則り一挙一動苟く(いやしく)もせず公明正大正々堂々と善戦健闘して銃後青年の意気を遺憾なく発揮し以て本大会開催の趣旨に副はれん(そはれん)ことを切望してやまぬ次第であります。(引用おしまい)
「現下時局の重大性に鑑み真に肝要なること」とは、「中国との戦争の真っただ中にあるから日本精神を奮い立たせることが大事だ」との意です。全体主義体制下戦時教育の典型的な嫌らしさですね。野球と関係ないやん。
狂っているのは文部大臣だけではありません。日中戦争を拡大させた第2次上海事変の1年後に開幕を設定した主催者の朝日新聞社会長・村山長挙のあいさつは、聖戦完遂の高揚感にあふれています。上記紙面から引用します。
上海に戦火の拡大したその1周年の記念日に大会の第1日を迎へることの意義深きを思ふ未曽有の事変下にあって今日茲(ここ)に尚(なお)かゝる壮観を見ることが出来るのは大会の精神が一に銃後における学生諸君の心得べき心の用意と一致するからである。即ち徹頭徹尾武士道的に個人の手柄を犠牲にし国体の名誉のために働くと云ふ心構へこそ大会の歴史を一貫する尊い精神でありそれは又(また)同時に現下の時局精神でもある。(引用おしまい)
全国から集まった球児は総じて滅私奉公に徹し、国体護持に心身を捧げて野球やれよ、と言うのが朝日新聞社からの訓示。文部省がアレで、メディアも狂乱。国を挙げての同調圧力に、選手も「スポーツマンシップにのっとり……」なんて悠長な選手宣誓はできません。同紙面から引用します。
我等は時局の重大に鑑み益々(ますます)心身を鍛錬し銃後学生の本分を盈し(みたし)必ず国家の良材たらんことを期す。(引用おしまい)
「時局の重大に鑑み銃後学生の本分をみたし、国家の良材足らん」とした選手たちは大会後、どうなったことでしょう。出場者の一人、和歌山県立海草中の投手だった嶋清一は明治大から学徒出陣、東南アジアの海上で乗艦が雷撃を受け戦死しました。1939年の大会では全試合完封での全国優勝という空前絶後の記録を成し遂げた好投手でした。
他にも非業の死を遂げた球児がどれだけいたものかわかりません。荒木ら国家、朝日新聞のようなメディア、そして国体の名誉なんてくだらないものに熱狂した国民が、寄ってたかって嶋清一をはじめとする同時代の青少年たちを殺しました。

教育に迫る歴史修正産業

このところ、しつこいくらい茶の間に流れてくるJR東海のテレビCMがあります。前川喜平さんの出身地奈良県への旅行をPRする、葛西敬之名誉会長率いる電鉄会社が宣伝する舞台は、名刹や古墳が居並ぶ奈良市や明日香村じゃなくて橿原神宮です。修学旅行は橿原神宮にもうでて日本精神を学べと言う話でしょうか。そのうち九州への学童旅行広告では、宮崎市の八紘一宇の塔がクローズアップされるかもしれませんね。全盛の歴史修正ビジネス・ヘイト産業が、こどもたちの身辺にも及んでいるような薄気味悪さを感じる今日この頃です。広告料をいただくテレビジョン全局が無言を貫くに決まってます。
人の親なら、日本国民なら、我が国に生きるこどもたちの健全な成長を望むのは当然。これから始まる萩生田文教行政をしっかり監視しようじゃありませんか。大臣の背後からフィクションじゃない田中哲司(のようなもの)が出てくるようなことがあれば、奴らを叩きのめすのは国民の義務です。
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」(日本国憲法26条2項)
普通教育、フツーの教育ってのはマトモな教育環境あってのことでしょう。