日航機の御巣鷹山墜落事故から35年。
あの日は、テレビに釘付けとなって ニュースを見ていた。
遭難者の中に「坂本九」が・・・・。
遭難者の中に「坂本九」が・・・・。
「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」は、老人ホームでの定番だが、意外と歌詞は暗い。
「上を向いて 歩こう 涙が こぼれないように
思い出す 春の日 一人ぽっちの夜
幸せは 雲の上に
涙が こぼれないように
「上を向いて 歩こう 涙が こぼれないように
思い出す 春の日 一人ぽっちの夜
幸せは 雲の上に
涙が こぼれないように
泣きながら 歩く 一人ぽっちの夜」
「見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように
名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる
まるで「坂本九ちゃんの追悼歌」だ。
坂本九は、飛行機は全日空と決めていた。大阪の招待者が、「全日空が満席だったので」と 日航のチケットを送ってきた。マネージャーは搭乗間際まで、全日空のキャンセル待ちに並んでいたという。何か予感されていたようにも思える。
「見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように
名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる
まるで「坂本九ちゃんの追悼歌」だ。
坂本九は、飛行機は全日空と決めていた。大阪の招待者が、「全日空が満席だったので」と 日航のチケットを送ってきた。マネージャーは搭乗間際まで、全日空のキャンセル待ちに並んでいたという。何か予感されていたようにも思える。
「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔、作曲した中村八大、歌手の坂本九。奇しくも「六、八、九」と数字が付く。「七」がない。
レコーディングの時、九ちゃんの「ウヘホ ムフヒテ」と独特な歌いまわしに、永六輔は「なんだ、その歌い方は!」と激怒したそうな。これは母が歌っていた小唄の真似とか、プレスリーやバディ・ホリーの影響とも。
この変な発声で、発売当初は不評で「レコード大賞」の候補にも上がらなかった。それが欧米での大ヒットとなる。
きっかけは、1962年、イギリスのディキシーランド・ジャズのトランペッター、ケニー・ボールが演奏し、「SUKIYAKI」というタイトルで発売、全英チャートで10位にランクインした。
ケニー・ボールは「上を向いて・・・」ではタイトルが長く、意味も不明で、知っている日本語は「SUKIYAKI」と「SAYONARA」ぐらいだったので「すきやき」になったとか。「さよならソング」でも、歌詞にはピッタリだったかな。
ところで、永六輔のラジオ番組、桃屋の提供の「誰かとどこかで」は、1967年以来、12,000回を超えた長寿番組だった。
そのオープニングの曲は村岡実の尺八で「どこか遠くへ」だった。独特のビブラートの村岡節。7孔尺八で尺八界に革命をもたらした異端児。美空ひばりの「柔ら」をはじめ、3000曲もの演歌に尺八を吹き込んだという村岡実も84歳で亡くなった。その時、訃報はどの新聞にも載らなかった。さびしい限り。