現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

魂のピアニスト「フジコ・ヘミング」

2020-02-25 04:59:36 | 虚無僧日記

2/24 NHK「ファミリー・ヒストリー」は「フジコ・

ヘミング~母の執念 魂のピアニスト」でした。

Youtubeで観て「フジコ・ヘミング」に魅了された私。

フジコ・ヘミングはもう昔から世界で有名なピアニスト

と思ってました。ところが、TVで紹介されたのは、

どん底生活の壮絶な絶望の人生。

彼女を一躍有名にしたのは 1999年に放映されたNHK

ドキュメント番組、ETV特集「フジコ・ヘミング~

あるピアニストの軌跡~」だそうだ。

それまでは無名。60代でブレイクし、今80代で、

年十数回ものコンサート。「チケットが買えない」

世界的に有名なピアニストとなった。

私にも希望を与えてくれる。

 

彼女は一代でピアニストになったのではなかった。

母の大月投網子(おおつき・とあこ)さんは

戦前では日本を代表するピアニストでドイツに留学。

スウェーデン出身のジョスタ・ヘミングと結婚。

二人の間に生まれたのがフジコさん。

でも戦争で? 二人の愛は引き裂かれる。日本では

仕事が無いジョスタの生活は荒れ、夫婦喧嘩が絶えず、

彼は離婚してスウェーデンに帰国。

戦中、戦後と、母親一人で三人の子を育てた。フジコをピアニストにするための教育は壮絶。毎朝6時から練習を強要。毎日「バカ、アホー、また間違えた!」と怒鳴られる日々。

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フジコの母・大月投網子の父(フジコにとっての祖父)大月専平はインキ製造業で成功し、裕福な家庭であったから、投網子はドイツに留学。「ブリュートナー社製」のピアノを購入し、日本に持ち帰っていた。今のお金で2000万円か。そのピアノは最近800万円かけて修理し、今もフジコさんの自宅で大切に使用されている。

祖父の経営するインク会社は空襲で焼け、生活はどん底に。母投網子はピアノを教えて、その収入でフジコをドイツに留学させる。仕送りは毎月で36万円ほど。当時では大変な額。でもそれでは、ドイツでは、肉も買えない、病気になっても医者にも行かれないほどの悲惨な生活だったという。そして何よりの悲劇は 耳が聞こえなくなったこと。右耳は全く聞こえない。左耳で30%ほど。蝉が鳴くようなノイズがずっと聞こえるという。

それでもピアノを弾く。正に魂で奏でる音なのだ。

Youtubeのコメントで、若い女性か、「なに、この人。基礎がなってない。リズムがはずれる。自己流の弾き方だ」という批評があった。

今の音楽は、とにかくメトロノームにきっちり合わないとダメ。機械的正確さが求められる。

だが番組でも云っていた「1920年代の音楽は、自由に、自分の音楽を」という時代だったと。そしてフジコいう。「技能的に正確に弾く人はいるでしょう。私は、音、一音一音に色をつける。心を籠めて弾くことを大事にする。間違えたって気にしない。機械じゃないんだから」と。

ホントに私の思いと同じ。共演するオーケストラのメンバーも言っていた。

「彼女の演奏は、心を打つ。感動で、ミスタッチも気にならない」と。

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