今朝6時、以前 2013年7月に書いた「茗荷」についての記事に 120件ものアクセスがあった。はて? 今日は名荷の日でもあるか? と調べてみたが不明。ではその記事を再掲させていただくことに。
お釈迦様の弟子の中でも特に優れた「十大弟子」の一人「周利槃特」のお話。「周利槃特」を「シュリハンドク」と読むのは日本語読み。中国音では「スリハンドク」。サンスクリットでは「チューダパンタカ」と発音するようです。
「シュリハンドク」は、自分の名前すら覚えられなかったので、お釈迦様は、ハンドクに、名前を書いた木札を与え、「いつも背中にさしておくように」と命じます。
そしてハンドクが亡くなり、その墓の周りに不思議な草が生えてきました。その草を食べるとみなバカになるので「茗荷(みょうが)」と名づけられた。
★「茗荷」とは、「ハンドクが、自分の名前も覚えられないので、名前の書いた木札を背に荷(にな)っていた」という故事に由来する。
どの本にもインターネットのサイトにも、そのように書かれていますが、“ちょっと待って”です。
インドに漢字は無いため、「名を荷う」=「茗荷」という名前が生まれるはずはありません。中国語にもありません。インドや中国では「茗荷」を食べる習慣はないそうです。
「茗荷」という漢字を充てたのは『庭訓往来』(1350年頃)。
そして、江戸落語の『茗荷宿』で一般に流布されたようです。
その話は、「強欲な宿屋の主人が、茗荷を食べるともの忘れがひどくなると聞いて、宿泊客が財布を忘れていくように、料理にたくさん茗荷を入れて出したところ、翌朝、宿の主は宿代を請求することを忘れ、客は宿代を払うのを忘れて出立してしまったというもの。
「茗荷」の二字の双方の「草冠(くさかんむり)」を取れば「名は何?」。どうやら「和製漢字」で「ハンドク」が「名前も覚えられなかった」というのは、日本人の創作だと考えられます。
むろん、茗荷には「モノ忘れ」になるような成分はありません。むしろ、生姜(しょうが)の仲間ですので、脳に刺激を与え、活性化する働きがあるとのこと。とんでもない濡れ衣です。
江戸時代以前、「みょうが」は「神仏の加護を得る“冥加”」に通じることから、武家の家紋として好んで使われました。
ことほど左様に「仏典に書かれている」という話は、ほとんど日本人の創作なのです。