● 頑張らないことを頑張る。 | たいやき社長、書く。

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私は、「頑張ってください」と言われると、さびしいです。まるで他人事のようだからです。ですから、私は、頑張ってくださいとは言いません。言うとしたら、「頑張りましょう」です。

しかし、世の中で、「頑張っていない人などいない」と、私は思います。それだけに、基本的には、相手に対して、「頑張ってください」とは言わないのです。誰もが、頑張っているのです。

しかし、逆説的ですが、頑張っているのに、思うように結果がでないのは、「頑張っているから」なのです。たとえば、寝食を削ってまで頑張らねばならないことは、実のところ、「自分に向いていない」のです。

必死に、決死で頑張らねばならないことは、率直に言って、「向いていない」のです。本当に向いているものは、「頑張る必要がない」からです。

たとえば、私は、字を習ったこともなければ、書き順も知りません。まったくの自己流で、自分としては、「いい歳して、こんなきたない字しか書けないのは、恥ずかしい」と思っており、人前で字を書かねばならない時などは、気後れします。

しかし、当店に貼ってある、私の筆文字を見た、たくさんのお客様から、「字がお上手ですね、いい字ですね」と褒められるのです。これについては、努力ゼロ、頑張りゼロです。

また他にも、私は、休みの日や、余暇、プライベートタイムのほとんどが、書店にいるか、読書(勉強)をしているかです。旅行、遊び、飲む打つ買う、すべてゼロです。それを聞いた人は、「努力家ですね。勉強家ですね」と、敬服してくださいます。

しかし、私は、まったく努力しているつもりはありませんし、勉強しているつもりもありません。それが、私にとっての普通の状態であり、また、大好きで、「やらずにはいられないこと」なのです。

自分は頑張っていないけれども、他者から見たら、非常に頑張っているように見える。自分にとっては、楽勝の土俵。他人の半分程度の努力で、他人の倍以上の成果が出るもの。そのようなものに、エネルギーを注ぐべきなのです。

必死に、決死で頑張るという状態は、いつまでも続くものではありません。淡々と、粛々と、10年、20年と、「継続」できるものでなければ、頑張り続けることは不可能です。

ですから、「いかにして頑張らずに、成果や結果を出すかということに頑張る」のが、〝 正しい頑張り ″ といえるのではないでしょうか。「頑張らないことを頑張る」のです。

必死に、決死で、寝食を削ってまで頑張らねばならないことは、自分には向いていないのです。人間は一時的に頑張ることはできても、ずっと頑張り続けることはできないのです。

それだけに、頑張らなくとも、成果や結果を出せるものを探求するのです。それこそが、いわゆる、〝 自分探し ″ というものでしょう。

この話を踏まえて、「自分は、正しい頑張りをしているか。誤った頑張りはしていないか」ということを、どうか、点検していただきたいと思います。

 
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