神麗 魂の 導き神

 宇宙総帥アリヒト



メラメラメラメラ今回もご訪問くださりありがとうございます。



・・・その中に入ると天国なのだ」

続き

「う、うわーっ、スゴーイここは!きき、綺麗!」

「そこはそんなに綺麗なのか」

「き、綺麗!ああ、私、ちょっと、ちょっと、私ここを散歩しても大丈夫ですか?もう、めが、目が、下に落ちる事はもうないのですか?」

「そうじゃ、もう下に落ちる事はないのじゃ、その代わり二度とご両親を裏切ることのないように」

「ああ、分かりました、では私ちょっと、ちょっと、ああっ、歩いてきます・・・」


如何でしたか、地獄の淵と天国の入り口は。

これは地獄の淵に落とされている魂を私の中に呼び込み、地獄の淵とは如何なるものか?

天国の入り口とは、を私の口を使って魂に喋らせた内容を記したものである。

このように地獄の淵に落とされている魂は、今生にはわりと多くいる筈である。

最後の31歳の女性の場合は、初めは怨霊の作用で神経を翻弄され、後に化け物に操られていた。

“母子喧嘩”が絶えなかったのはその作用だったのだ。

そして、この化け物から解放された数日後、

『タスケテー、ダレカ後ろから追いかけてくる、タスケテー!!』

と家で足をバタつかせて大暴れをしたという。


この“誰か、後ろから!タアスケテー”と云ったのは魂が私の中で喋った事と同じなのだ。

この行動からみてもお分かりのように魂の想いと顕在意識には数日の時間差がある。

時間差を経て魂の経験した恐怖が顕在意識に届き、その恐怖が幻想として現れたいい例でもある。

この事からも『お母さんを大事にします』と魂は云っていたが、残念ながら顕在意識に、直ぐには、この想いが届くことはないだろう。

 
後日、やはり“喧嘩はまだ続いている“と連絡が入る。

結局、本音と建前の違いなのだ。

本音とすれば魂の想うように“お母さんを大事にしたい”と想っているのは間違いはないのだ。

が、その思いを口に出す、或いは態度に出すまでには少々時間が要する。

何れ時間が経てば顕在意識も魂と連動して優しくなるだろう。

その時が何時かは個人差によりまちまちではある。

自分の心に素直な人は割と早く自然に口や態度に出せるのだが、その逆の人は半年から一年はかかるようである。

この半年から一年とは男性の方の場合である。

男性は割と意地っ張り、メンツに拘る人が多いからではないだろうか?

女性の方が早く自分の心に忠実、素直になれるようだ。

と云う事で、ご両親にはもう暫くお待ち頂くしかないのである。

が絶対娘さんが変わる事は保証したい。

夢のように綺麗な場所、天国に魂はのぼっている。

既に心は平穏の域に入っているのだ。

故に

≪何れ魂の想うようになる≫

と云う事だ。

これは此れまでの幾人かの経験から言える事なのである。

三魂がみた”天国とは”。

天国とは大変明るいところのようだ。

皆がみな“眩しい!!”と叫ぶほど。

と云うより真っ暗闇から明るい陽射しの中に突然入ったのだ。

明りに慣れていないせいでもあるのではないだろうか?

それは別として、やはり太陽に近(天国は太陽の近く)いところからすると地上よりも当然明るさは増しているであろう事は容易に理解出来るのではないだろうか。

次に、これも同じ “真っ青な空がキレイ!雲が真っ白、物凄く良い匂いが、お花の匂いがする。

水が澄み渡っている!それに共通するのが”凄い、スゴイ!夢をみている?“の連発だ。

お花の色が浮き上がっているとも言っていた。

今の3Dの映像?いやいやそのような次元ではないだろう。

夢のように素晴らしい!!と云う事だ。

本や映画のスクリーンにでもこれほど綺麗な情景が映ったことはないという。

更に、キンキラキンの建物、鳥や馬も水も金色。

天国では空を飛ぶのは鳥だけではなく馬も飛ぶのだ。

それも羽の生えた金馬が。

まるでファンタンジーの世界に紛れ込んだような錯覚に陥らせるほどの衝撃が眼下に広がっているのではないだろうか?

これでは“夢を視ている?”とうろたえるのも無理はないだろう。

天国とは、ギリシャ神話に登場するペガサスのような天馬、いや、ギリシャ神話より遥かに豪華な黄金の馬や金の鳥が飛び交う夢の世界なのだ。

此処では語られていないが天国内は建物も全て黄金で創られ、建物と建物の間は広々とした庭続きになっており、その庭には水も滴るような青々とした色鮮やかな芝生のような低草が敷き詰められている。

その低草の上には大理石のような石灰岩に似た石で造られた大きなテーブルが乱雑に配置されている。

そのテーブルには、この世では視たことのないような芳しい香りを漂わせた、南国で採れるような色鮮やかな果物が、これも金で編まれた籠に山盛りにされている。

この果物類は誰でも自由に食せられる。

果物籠の横にはワインボックスが置かれている。

そのワインボックスには天国で採れた果物を原料としたワインがキラキラと輝く真珠のような溢れんばかりの氷中に埋まっている。

このワインも果物と同様に飲み放題。

要するに、ここにあるものは全て天国に棲む人々の共有するもので食べ呑み放題なのだ。

更に、天国人は男女ともに貴族、或いは豪族が纏うような豪華な服を普段着として常に着飾ってダンスに興じ娯楽に開けくれているようだ。

が誰一人批判する者などは無く、皆さんニコニコとごく当たり前の風景を前に談笑されているのだ。(数年前、天国の上の層に入られた方が云うには、天国ではすれ違いに挨拶する時でも一切笑顔をつくってはならない、と云う。気楽に笑う事などできない、と)

疲れると清水で体を清め順次休憩と云うか低草の上、或いはキラキラと輝く黄金のお屋敷に設えられた羽根布団のようなフカフカの寝具に身体を横たえくつろぐ。

それが天国の日常なのである。

事実は小説よりも奇なりと言う諺があるように、今回の数魂の魂が喋った天国の入り口とはまさにそのようなところなのだ。

だが、今回入った天国の入り口は7、8か月前、最初に地獄の淵から天国の入り口に導かれた数魂の魂が視た景色とは多少違うようだ。
(前回、天国の入り口に入った魂が視た景色は“乞食を殺した祟り、どうして霊が憑くの”に詳しく記載している。)

今回、入国された方々が視た景色は、より天国の入り口に近いのではないだろうか。

それにしても天国の入り口と一口に云うが相当に広いようだ。

先の、サツジン鬼と、その彼女が同じ天国の入り口に昇ったのに数日経った今でも巡り合えていないのだ。

お互い探し合っている筈なのだが、それでもみつからないと云う。

今回は3名の方を天国の入り口まで導いた。

前回と合わせると9名。

この中で地獄の淵に落とされていた方が5名いた。

次は、怨霊に憑かれたり、地獄の淵に落とされたりすると人間はどのようになるのか?を。

怨霊に憑かれ地獄の淵に落とされた人々の苦悩?

次回続く