某所で「泣いている子どもに無関心で放置する親は自己評価の低い子どもを育てる」という文を読んで、心がえぐられました。
親(特に母親)は、私が泣くたびに放置しました。
子どもの頃、一番泣いたと思うのは、飼っていたインコがある朝、死んでしまっているのを発見した時でした。
私と弟とで鳥かごを囲んで1、2時間くらい泣き続けました。
ええ、放置されました。
「うるさい黙れ」とは言われませんでしたが、「つらいね」と共感してくれることもありませんでした。
この共感は、カウンセリングの先生がよくやってくれるので、「母と先生とはこういうところが違うのか」などと気づき始めてきたところです。
共感されるというのがどれほど心地いいものであるか、親に共感されないというのがどれほど酷い事であるか、実感として心に蓄積されていっていますが、ツラいです。